2.湿りの海-13
その瞳に見つめられ、低い声で命じられると、紅美子の背中にゾクッと恐怖と快感の入り混じった騒めきが走り抜けた。ああ、と熱く湿った溜息を漏らし、井上の男茎に向かって腰を落としていく。今日も既に何度か絶頂に導かれていた秘所は滞留無く男茎を呑み込み、亀頭の傘が紅美子の門を潜って開いてくると、奥から来訪者に向かって歓迎の雫を降り注いでしまう。完全に井上の上に腰を下ろすと、下腹部に充満してくる快楽が爪先までジーンと広がった。ビクンッと慄く体を両手を井上の胸に付いて支える。
「ほら、動いてみろ」
井上が両手でヒップからウエスト、そして脇腹までを撫で上げて扇動してきた。
「あうっん……」
甘ったるい声を漏らして紅美子が腰を動かし始める。井上に会いに来ると毎日必ず騎乗位で腰を使わされた。昨日も、その前も。だんだんと、自分でも恥しいくらいに淫猥に腰をくねらせていくうちに、内部を傘が心地よく擦ってくる角度や強さがわかってきた。徹は紅美子に跨ってくれた悦びだけで男茎を固くし、早々に果てていってしまう。だが井上は冷淡な表情で紅美子を見上げながら、単調であると手を添えて腰つきを導き、存分に快楽を与えてくれる。今まで知らなかった角度で擦れる男茎に紅美子は翻弄され、髪を揺すって更にはしたなく腰を動かしてしまう。
「膝、立ててみろ」
井上が紅美子の太ももを掴んで持ち上げてくる。
「やっ、ちょ……」
正座で腰を落としていた膝を持ち上げられ、足の裏をシーツに付かされた。前屈みにしゃがんだような格好にされ、侵入している箇所が丸見えになると、羞恥の中で更に異なった角度で擦る傘をギュッと襞で締め付けてしまう。
「み、みるな……」
「よく見えるよ。嬉しそうに呑み込んでる」
「くっ……」
M字に開いた脚の中心に視線が向けられているかと思うとおかしくなりそうだった。だが、その狂おしさの中で体に性感が駆け巡るのも確かに感じていた。悔しい呻きを漏らし、肘が折れて倒れ込みそうになるところで抱き寄せられ、髪を撫でながらの濃密なキス。この恋人を慈しむようなキスをされると、紅美子は性楽に混じって眩暈がしそうなほどの甘い脱力感に包まれてしまう。
「僕が嫌いじゃなかったのか?」
額と鼻先を擦り合わせて間近で問われる。
「嫌いよ……。いつか、殺したい」
「じゃあ、それまでは教えこんでやる」
と、顔を寄せながら腰を抱くと、膝を立ててしゃがんでいる紅美子に向かって下から陰湿に擦ってきた。
「あうっ……」
何度も電流に打たれたかのように紅美子の体が跳ねる。薄く開いた瞼から見える至近距離の井上の表情に焦点を合わせていくと、翻弄される紅美子を蔑むような、しかし熱意も有々と滲ませた瞳をしていた。
この男が憎い。最初に会った時から自分を見下し、そして徹を裏切らせた。そして、ここに来ずにはいられない縄墨を心の奥底に植え付けてしまった。この男がいる限り、自分は薄汚い女に堕してしまう。だが、そんな思いを溜めれば溜めるほど、紅美子の体はより深く井上を求めてしまう。
「キスしたいんだろ?」
低い声が紅美子を揺さぶってくる。
「したくないっ……。……したいわけない」
と言って紅美子は井上の首に巻きつき、鼻先に髭を感じながら舌を絡めていっていた。井上の腰が早まる。出すぞ、とキスの狭間で言われる。唇を突き合わせ、舌を絡めながら首を横に振る。いつでも飛び退くことができるのに、紅美子は腰を男茎に向かって擦り付けていた。
「ンンッー……!!」
井上の亀頭が熱い樹液を迸らせ、それが内壁にヌメリつく感覚に紅美子もまた奥から愛液を迸らせて果てていた。
しばらくすると、井上の手で傍らに体をゆっくり倒される。息を切らしながらベッドに横たわる紅美子をよそに、井上は体をズラしてベッドを降りて立ち上がった。備え付けの冷蔵庫の中からペリエを取り出し瓶のまま傾ける。井上はいつも果てると唐突に紅美子を突き放してくる。放出の余韻に浸りながら抱きしめてくれるということはない。その様子を俯せて眺め見ていると、脚をしどけなく投げ出している間から放たれた樹液が流れ出してきた。
「さっきから鳴ってるぞ?」
井上が瓶を持った手で、紅美子のバッグを指さした。紅美子が黙ったままシーツに顔を押し付けているのを見て、井上は歩んでいってバッグの口を開く。
「勝手に開けないで……」
絶頂の引き波にたゆとうている紅美子は、身を動かさず目線だけ井上に向けて言った。取り出した携帯の画面を見ると、唇を曲げて笑い、
「愛する徹くんだ」
とベッドのさっきまで自分が寝ていた辺りに投げ寄越した。紅美子は画面に表示されている『徹』の文字を見続けていた。今日も残業だと連絡したはずだ。昨日も、一昨日も。繁忙期であることは間違いない。だが紅美子は、紗友美が体調を崩して休んでいるとウソをついて、そのリカバリのために連夜遅くまで残っている、と伝えた。桜橋の上で聞いて以来、徹の声は聞いていない。徹は自分の声を聞きたがっているのだと思う。二十年間、四日も言葉を交わさないことなどなかったのだ。
「出てやれよ」
「……イヤよ」