ダビング-3
「結構美味しいかったよね、ここのお店」
前と同じ席を所望した沼田はにこにこしながら、あれやこれやとツマミを頼んでいる。げその唐揚げ、冷奴、枝豆、オニオンスライス、ポテトフライ、もつ煮と、とにかく安いつまみを順番に選んだのはいうまでもない。前方にあるステンレス製の大型冷蔵庫に、石橋の能面のような顔が映っていた。
テーブルに大ジョッキの生ビールが二つ置かれると、沼田はかちんとジョッキをあてて「石橋君に乾杯」と言った。石橋は冷蔵庫を見つめたままぐいとあおり「ぷはー」と言ってから一瞬白い歯を見せたが、目の前にキムチともろきゅうが並んでいるのを見て再び能面となった。沼田はもろきゅうをこりこり噛んで「もろみより味噌のほうが好きなんだ」と言って「とっても美味しい揚げ出し豆腐も頼んだから」と続けた。カウンターに所狭しと並べられた数々の激安料理を石橋は黙々と口に運ぶ。
「そういえば石橋君、進藤奈津子って誰?」
そう切り出したとたん、石橋の鼻と口からビールが噴射した。
「ブヘッ! ゴホッ!……」
顔をびしょびしょに濡らして涙を流しながら咳き込んでいる石橋を、何事かといった顔で周囲の客が振り返る。横にいる沼田はスローモーションビデオのような動きでジョッキをつかみ、ひとごとのような顔でおちょぼにした口にそっと運んだ。予測していたので、自分の食べ物は石橋が咳き込む前にちゃんとどけてある。発作が治まり目と顔を真っ赤にしている石橋に、枝豆をつまみながら「大丈夫かい?」と声をかけた。
「佐伯君の奥さんなの? ということは佐伯奈津子?」
沼田はたたみかける。
「ど、どうしてそれ……あ、いや、だ、誰ですか、それ?」
うろたえたまま枝豆を口に放り込みコリコリと噛んだ。石橋が飲み込んだのを見計らって「あ、それサヤのまま」と、箸ですくった揚げ出し豆腐をツルッと吸い込み、澄ました顔で教える。
「ゲッ」と、のどを鳴らし、「どうりで硬いと思った」と呻きながら、舌をベロベロ出して慌てるが、全部飲み込んだあとだった。
「誰って、石橋君から聞いたんだけど」
「じ、自分が?……」
「そう自分が。あーあ、すみませんねぇ」
沼田はぞうきんを持った若い女の店員に笑いかける。
「す、すみませんでした」
汚した冷蔵庫をふき始めた店員に石橋はペコペコと頭をさげている。店員は顔の前で手を振って苦笑いとなる。ステンレスが光沢を取り戻した。
「憧れの君なんだってね」
石橋の驚いた顔がそこに映っている。
「さ、ビールでも飲んで」
石橋はこくんと頷いてがぶがぶとビールを飲んだ。空になったジョッキを頼んでやると、石橋はうれしそうだった。
「ほらこの前、石橋君と二人っきりで飲んだでしょう?」
二人っきりを強調した。
「はい」
「あのとき、わたしに話してくれたじゃないか。洗いざらい」
「洗いざらい……」
石橋は冷蔵庫に映った自分の驚いた顔を変化させている。
「二人のことをさ」
軟骨をコリコリと噛みながら、今度は泣き顔に変化した。
「どうなってんの、いったい。田倉君と奈津子さん、つまり佐伯君の奥さん……」
「ないです、ないです、ないです」
両手で頭を抱えて突っ伏してから、何か思いついたように顔を上げて焼き鳥の串を二本、鬼の角のように頭の上に置いた。石橋は酔っぱらっていた。こんな男を相手にするのはばかばかしいが、ここはたたみ込む必要がある。