孤愁-11
「ちょっとない話でしょ」
監督が置いていったのは二万円だったという。
有村は唸るしかなかった。
「狂ってるよ。訴えなかったの?」
「そんな気力もなかった」
「そうだろうけど……」
「それに、信じられないことだけど、部員の一人だっていう言葉が重く感じてきて、チームのことを考えたら出来なかった」
「そんな、馬鹿げてる……」
「わかってるけど、出来なかったの。もし公になったら試合には出られなくし、あたしも学校にはいられない」
「ひどい教師だな……」
「でもね、不思議なのは、あたしそんなに傷ついた気がしてないの」
悲惨な話をしているというのに、美貴は微妙な笑みさえ浮かべている。あまりのショックにその時の記憶が凍結してしまっているのだろうか。
「そんな経験をしたら、誰だって感覚がマヒするだろうな……」
「たしかに、しばらくは現実じゃないような感じがしてた。でも、一回戦で負けて、泣いている選手を見てたら何だか急に可笑しくなってきて、頭の中が割れた気がしたの」
「割れた?」
「そう。パーンって……」
美貴は「ふふ……」と笑い、
「結局、セックスって何だろう。何のことはないなって思った。九人に犯されて一回戦負けかよ。強姦でも合意でも同じ。やることは同じよ。そう思ったらすっきりしてきっちゃった」
「それは……」
ちがう、と言いかけて、有村は黙った。
自分が美貴に求めているものはその肉体と行為そのものでしかない。……
「それからは何をしても平気になったわ」
多くの男と関係を持ったが、長く付き合ったことはないという。
「セックスも一度きり。二度も会うのは有村さんが初めてよ」
美貴は首をかしげてみせた。
「それは光栄だな」
風呂のチャイムが聴こえた。
「お湯が入ったみたい」
有村の手をとったのは、一緒にということであった。
美貴の掌が吸いつくように彼の全身を這いまわり、さらに泡にまみれた自分の体を遅々とした動きで擦り寄せてくる。快感が高まって痺れとなり、うねるような心地よさとなって血流が股間に押し寄せてくる。彼も合わせて美貴の肌を愛撫した。
「ああ……」
赤く上気した顔。ときおり支えなければならないほどにのけ反った。だが、
(乱れない……)
陶酔の境地を漂いながら、有村は疑問に突き当たった。
(あの時の錯乱は何だったのだろう……)
ふと、想う。
美貴の話が事実なら、あれだけの凌辱を受けて心に傷を負わないはずはない。いや、傷どころか、人によっては死を選択するほどの出来事である。
(彼女にも必ずある……)
時間という古い埃に被われていても、腫瘍のような心的シコリがきっと残っているはずだ。
(そうだ……)
それが何かのきっかけで疼き出すのではないか。そして埋もれていた忌まわしい記憶が顔を覗かせた時、無意識に怒涛の快楽に逃避するのではないだろうか。
それは激しくなければならないのだ。初体験が九人による強姦という陰惨な記憶を紛らすには自ら狂乱を演じなければ耐えられないのではあるまいか。
湯船に入ると向き合った美貴が脚を開いて彼を挟む形になり、腰を上下して先端を探り、そのまま納めた。
「ああ、いい気持ち」
有村も広がる快感に酔った。
「お湯、入らないかな」
結合部を触ってみた。
「ふふ……」
美貴は一つになったまま動かない。あくまでも前戯の一環のつもりのようである。
「じんじんしてくるわ」
彼は尻をさすり、動かしたい衝動に耐えていた。
「ほんとはね。改札で待ってたのよ」
「俺を?」
やはりそうだった。
「一週間くらい、毎日」
「そんなに?」
なぜ、とは訊かなかった。
「嬉しいな」
「好きなの、何だか。有村さん……」
有村が思わず笑ったのは照れ臭さというより、美貴の言った、何だか、という曖昧な言い方が可笑しかったのだ。
「あたしね。時々頭の中が太陽でいっぱいになるの」
答えようがなく、抱き締めて背中をさすった。
「熱くて、真っ白で、ぎらぎらして、そしてわからなくなっちゃうの。この間もそうだった。ところどころは憶えているのよ。何か変なこと言ったでしょ?」
「俺もよく憶えていないんだ」
「やさしいのね……」
「でも魅力的だったよ。セックスは愉しむものだろう?何をしたっていいじゃないか」
「そうよね。そうでした」
美貴は結合を解いて立ち上がった。湯を滴らせた陰毛が眼前をよぎっていった。