名前で呼んで-1
人間、あまりにも驚いた時って声が出ないものらしい。
膝から力が抜けたあたしは、ひんやりとした石畳の上にペタリと尻もちをついて、鯉みたいに口をパクパクさせながら、愛しい人の姿を凝視していた。
息を弾ませながら、Tシャツの胸の辺りをクシャリと握り締めているその姿を見ていると、涙が勝手に溢れてきた。
あたしのとこに来てくれたの、駿河……?
「古川……」
バツが悪そうにあたしのそばに歩み寄ってくる彼。
どうして、ここに来たの?
里穂ちゃんはどうしたの?
あたしのこと許してくれるの?
訊きたいことは山程あるのに、出てくるのは嗚咽ばかり。
その一方で、あたしに間接的に告白させた店長は、そんなあたしを見て未だに笑い転げている。
コイツ、駿河が来るのが見えたからわざとああ言ったんだ……!
泣きながらもあたしは店長を睨み付けてやるも、どこ吹く風。
笑い過ぎて涙が出てきた店長は、目尻のあたりを人差し指で押さえながら、駿河の方に向き直った。
「駿河くん、オレさ早く帰りたいから古川さん置いてっていい?」
「はい」
頭上で交わす会話で、店長の声がやたら明るいのはあたしの世話から解放されたからか?
駿河の返事を確認した店長は、一切あたしの方を見ないままに自転車のハンドルを握り締め、今にもペダルを漕ぎ出そうとしているところ。
……そりゃ、店長には感謝してますよ。でも、厄介払いみたいなその態度はないんじゃない?
「ちょっと、店ちょ……」
完全にあたしをシカトして帰ろうとする彼に文句の一つでも言いたくて、呼び掛けようとした途端、突然ヤツはあたしの方を見て、それはそれは小憎たらしい三日月みたいな目をしては、
「もう逃げんなよ」
とだけ耳打ちしてから、ペダルを漕ぎ始めた。