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栗花晩景
【その他 官能小説】

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風花-6

 昨年、宅地建物取引業の資格を取得して、私は実務を覚えるために富田という営業マンと行動を共にした。彼は私より三歳年長で、高校を出てから十年以上勤めている営業のリーダー格である。
 三原不動産は恵子の父である社長以下、社員二十人ほどの小さな会社であるが地元での知名度、信用度は絶大で、業績も順調に伸ばしている。
 社員の半数が同族である。恵子の母と叔父、それに長兄が役員で、次兄が部長の職に就いている。そしてその妻、由美子が経理の責任者で、五人の女性事務員を除くと血縁のない社員は富田を含めて数人である。
「君もいずれ役職につくよ」
富田が少々卑屈に言ったのも無理はない。実は仕事には何も関わらないのに恵子まで顧問の待遇で、幾ばくかの報酬を得ているのである。

 毎日の業務は多忙であった。不動産の売買はむろんのこと、賃貸や駐車場の契約、管理から他社物件の仲介など仕事は引きも切らなかった。定時に退社することはほとんどなかった。結婚前、恵子が「父を助けてあげて」と言ったことがあったが、頷ける日常であった。
「仕事をおぼえるとすぐ辞めていっちゃうんだ」
面接という形で初めて会った時に義父はそう言って私の入社を歓迎したものだ。もっとも、結婚と並行して進んだ話なのでどこまで私に期待していたのかはわからない。

 富田は営業の中心であって、その仕事ぶりは感心することがしばしばであった。押しの強さにしろ、ぎりぎりのところで引く時のタイミングなど、見習うべき話法や営業テクニックがたくさんあった。しかも客の質問に窮することがない。曖昧なことは決して言わない。半年間彼についていて、私は事あるごとに、
「勉強になります」と素直に感服して言った。
「十年もやってれば誰でもできるよ」
富田はこともなげに言った。

 その富田も、他の二人の若い社員、川田と山瀬も、初めのうち私を警戒していたふしがある。私も『同族』の一人として見られていたようで、それは娘婿なのだから当然であるが、差し障りのない接し方を感じていた。筒抜けになるのを懸念してなのか、会社の批判めいたことは一切口にしなかった。どんな職場にも不満の一つや二つはあるものだ。それが愚痴さえ洩らさず、会話の中でも言葉を選んでいる気がした。

 彼らが軟化してきたと感じ始めたのは二か月ほど経ってからである。後から切っ掛けを辿ってみると、何かの話の中で私が会社の方針に反対の発言をしたことがあった。内容を憶えていないほど重要なことではなかったが、会議の中のことだったから蔭口ではない。社長、役員、社員が揃った席である。経験の浅い私の言葉に役員以上に富田たちが驚いた顔を見せた。

 それと、若い川田と山瀬に対する接し方も打ち解けた一因でもあったようだ。彼らは年下ではあったが三年の経験を積んでいる。仕事の先輩である以上一目置くのは当然のことだと思うのだが、彼らはその謙虚さが気に入ったようだった。
 そんなことがあって、何度か酒を酌み交わすうち、次第に『仲間』として受け入れてもらえるようになってきたのだった。
(こいつは告げ口したりしない……)
と思ったかどうか。
 とはいえ立場からすると心を許す間になることは無理だと思っていたし、彼らにしてもどこか気持ちの中で一線が画されていたであろうことは想像に難くない。

「恵子ちゃん、元気?」
富田が酔ってくると必ず出る一言である。彼が入社した時、恵子は中学三年生だったという。
「ほんと、可愛かったんだよなあ」
山瀬と川田も、またかという苦笑を見合せて、私に我慢してくれと目配せをした。
「容姿端麗とは恵子ちゃんのことを言うんだ。今は君の奥さんだけど、褒めてるんだからいいだろう?」
何と応えていいかわからず、ただ笑って話題を変えるきっかけを探すのだが、恵子の話になった時は相当酔いが回った証しでもあり、容易にそこから外れない。

「中学生なのにさ、けっこう出るとこ出ててさ、色は白いしさ」
ねちねちと執拗である。
「中学の同級生だったんだよね。その頃からの付き合い?」
「ちがいますよ。昔は振られた口ですよ」
「それでも二人は結ばれた。幸せだよなあ」
酒癖の悪いところが富田の欠点である。

 結婚していて二人の子供がいる。妻は以前事務員をしていたのだと川田が話してくれたことがある。笹原という最古参の女性事務員からの情報だという。
 恵子が大学を卒業する頃、富田は社長に直接、恵子と結婚したいと頼みこんだという。義父ははっきりと断ったようだ。恵子が若かったこともあるが、酒癖の悪さを見ているので、とても愛娘を嫁に出す気にはなれなかった。しかし本心をそのまま言うわけにもいかず、とっさに出た理由が、すでに相手が決まっているということだった。その経緯は恵子の知らないことのようだ。
「いまだに忘れられないんですかね」
川田は話しながら申し訳なさそうに言った。
 こんな話も聞いた。偶然だったのか、ある時、駅前に車に乗った富田がいて恵子を呼び止めて家まで送って行ったことがあった。何か言われたりされたりしたわけではないが、それを聞いた義父は笹原に相談して富田の結婚相手の相談をした。乱暴な話だが、誰かと結婚させてしまおうという発想だったらしい。笹原の口添えでまとまったのが今の奥さんなのだという。

 どんなに褒められようと自分の妻が他人の男に妙な関心を持たれるのはいい気持ちはしない。まして以前結婚を望んでいたとなればなおのこと不快である。富田の目にはいつも肉欲の脂をたたえた色が感じられた。


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