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栗花晩景
【その他 官能小説】

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風化(1)-4

 当日、待ち合せ場所に現れた和子のいで立ちは本格的なもので、ニッカボッカに重量感のある登山靴、チェックのネルの長袖シャツ姿もなかなか凛凛しく見える。リュックがちいさめなのは行程に合わせたものだろう。背が高いので勇ましい印象である。
 それに引きかえ私の格好はジーパンにTシャツ、靴もふだん履いているバスケットシューズである。さらにリュックがなかったのでショルダーバッグだった。
「リュックくらい買えばよかったのに」
和子は呆れて言ったが、この日のためだけに揃えるつもりはなかった。

 列車は案外空いていて、四人掛けの座席を二人で占領することができた。
「さあ、いよいよ出発よ」
和子は嬉しくてたまらないといった顔である。
「この瞬間がわくわくするのよ」

 腰を落ち着けると私は早速缶ビールを開けた。完全に旅行気分である。和子にもすすめると弱いからやめておくと言った。
「飲みすぎないでね。ばてるわよ」
「だって楽なコースなんだろ?」
「楽っていっても七、八時間は歩くんだから」
山歩きは短大に入ってから始めたという。
「登山部?」
「一人でよ。そういうサークルはなかったの」
「ずっと一人で行ってるの?」
「そうよ。誰かと行くのは今日が初めて」
「変わってるな」
「あら、山好きの人って、けっこう一人が多いのよ」
「じゃあ今日も一人で行けばよかったじゃないか」
「たまには話しながらもいいじゃない。きれいな景色見たりして」

 和子が私のことをどんな存在として置いているのか、ふと考えた。異性としての意識は強くはないのだろう。

「脚伸ばすから前あけて」
靴を脱いで私の横に投げ出した。
「足、臭いかも」
あけすけな物言いは同性や姉妹と交わしている感じである。

「本当はね。高い山に登るのは今度が初めてなの。いつも低い山ばかりだったから不安だったのよ」
「なんだ、それで誘ったのか」
「その通り。でもそれだけじゃないのよ。話してて気疲れする人じゃ厭でしょ」
「俺がいても役に立たないぞ」
「誰でもいればいいの」
私も靴を脱いでわざと和子の腰にくっつけた。
「少し臭いね」
言いながらもいやな様子はない。

 周囲では仮眠をとる者が増えてきて車内は静かになった。
ひとしきり話すと、和子は靴を履き、脚を通路に出して仰向けになった。リュックは枕代わりである。
「少しでも寝ておいた方がいいわよ」
驚いたのはそう言ってからものの五分も経たないうちに寝息を立てはじめたことだ。股はやや開き気味である。車内を見たところこんな恰好で寝ている女性はいない。
(何ともおおらかと言おうか……)

 座ったまま目を閉じても、うつらうつらするばかりでとても眠ることはできない。途中停車する度に睡魔が遠のく。その繰り返しで小淵沢辺りでは目が冴えてきて列車の振動を感じながら煙草ばかり喫っていた。
 和子はハンカチを顔にかぶせている。そっと捲ってみると口を少し開けて大きな前歯がのぞいていた。あどけない顔である。
(子供みたいだ……)
起きるかと思ってしばらく見つめていたが目を覚まさなかった。

 夜行列車なのでアナウンスはない。それでも茅野の少し前で和子はむっくり起き上がった。
 駅に着くと大勢の登山者がぞろぞろと降り立つ。まだ夜明け前の群青色の空にたくさんの星が瞬いている。ひんやりした空気が寝不足の頭に沁み入ってきた。

 和子の後に従ってタクシー乗り場に向かった。ロータリーの反対側にはバス乗り場があって、そこは長蛇の列である。
「バスに乗る人が多いんだな」
「バスはあと一時間しないと出ないのよ」
日帰りするには多少出費でもタクシーを利用した方が時間の節約になるという。たしかに合理的に考えると金のかかることもある。
「それに疲労もすくなくて済むし」
「いろいろ知ってるんだな」
「本で読んだ受け売りよ」
ニッカボッカがはち切れそうな大きな尻を突き出して和子は先に乗り込んだ。


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