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栗花晩景
【その他 官能小説】

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風化(1)-3

 珍しく私だけが課内で仕事をすることになった。上司も外出して和子と二人、のんびりと息抜きの一日であった。
「ふだんほとんど一人だから話し相手ができてよかった」
することといえば電話番役だから忙しいこともない。
「前に大野君と二人になったことがあったけど、彼、あまり喋らないのよね」
「いいやつだよ」
「それはわかるけど、会話にならないんだもん」

 彼女はふだんのストレスを発散するように訊きもしないことを次々と話しかけてきた。自分は三人姉妹の末っ子だとか、家族はみんな小柄なのに自分だけ突然変異で大きくなったとか。……

 和子は短大卒だから私より二つ年下なのだが、同期だから対等と思っているらしく敬語を使うことはない。
「お昼どうするの?あたしお弁当だから」
「毎日親に作ってもらうのか?」
「自分で作るわよ。あたし、見かけより女らしいのよ」

 定食屋にでも行こうかと外に出たが、一人で食べるのも味気ないと思いなおして弁当を買って戻った。和子はなぜかけらけらと笑って自分の隣の席をあけてくれた。

 食後のお茶を飲みながら夏休みの話になって、和子は山に行くのだと楽しそうに語った。山登りが趣味だとは初めて知った。
「山っていっても危険な所は行かないわよ。歩くのが好きなの。いつもは日帰りで近くばかりだから、今度は八ヶ岳に行く計画なの」
「八ヶ岳って、本格的じゃないか」
「いろいろコースがあるのよ。初心者でも安心なルート。夜行で行って、日帰りだってできるのよ。汗かいてすっきり。気持ちいいの」
「体育会系だな」
「違うんだって。ハイキングみたいなものよ。どう、一緒に行かない?」
「山は行ったことないしな。考えておくよ」

 夏休みも予定はこれといって考えていない。もしかなうなら、弥生とどこかへ行きたいと儚い望みを抱いてはいたが、行動を起こす気はなかった。連絡をすれば彼女はきっと苦しむ。彼女の中で気持ちの整理がついて新たな生活を歩み出しているのに、すがりつく真似をするのは情けないことだ。忘れることは出来ずにいたが、思い出の部屋に仕舞わなければならないことだと観念はしていた。

 五日間の休みを何もしないで過ごすのはいやだった。ふと思いついたのは今泉に会うことだった。短期の旅行にはちょうどいい。
(ひさしぶりに飲むか……)
考えると楽しくなって時刻表を買って帰った。

 翌朝出社すると和子が私の肩を叩いてレポート用紙を机に置いた。山登りの行程が細かく記されてある。
「ちょっと、俺は行くって言ってないよ」
はねつけて言ったつもりだが和子は気にする様子もなく、
「いいじゃない。行こうよ。一日くらい付き合いなさいよ」
ふたたび私の肩をぴたんと叩いて自分の席に戻っていった。

 行程表によると、新宿から夜行で午前四時過ぎに茅野着。そこから登山口までタクシーで行って、北八ヶ岳を横断。反対側の登山口からバスで松原湖駅へ出て、小淵沢。そこから急行に乗れば夜八時新宿、ということだ。文末に少し大きめの字で、
無理のないスケジュール!と添え書きしてあった。
振り向くと和子が笑っていて、
『ねっ』と口だけ動かした。

 それもいいかと気持ちが傾いたのは松原湖駅が小海線だったからである。佐久に程近い。彼女と松原湖で別れればいい。夏休みにぴったりはまった無駄のない日程になる。
 それにしても山登りとはいえ、二十歳の女と二人だけで行動を共にするというのに、私には下心の思惑がまるで起こらない。男の友人と出かけるような心境である。和子もそうなのだろうか。一泊しようと言ったらどんな顔をするだろう。
(意外と平気かもしれない……)
和子を見ると何か書類を作っていた。


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