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栗花晩景
【その他 官能小説】

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春雷(2)-1

「小林とケンカでもしたのか?」
今泉に言われて、
「うむ……」
溜息まじりの返事は自分でも陰鬱であった。
 もう二か月も晴香と別行動なのだから彼がおかしいと思うのは当然である。隠しようがない。
「ケンカか……」
訊くともなく呟き、
「まあ、付き合ってるといろいろあるよ。そのうちまたうまくいくだろう」
悟ったように言った。
「三原とはどうなんだ?」
今泉は顔を向けず、
「会ってない」と答えた。
「たまに会いたくなることもあるんだけど、結局またもやもやした気持ちになりそうな気がするんだ。一度こじれたらむずかしいよ」
先ほどと矛盾したことを真面目な顔で言う。
「あっちからも連絡はないのか?」
「そう。だから向こうも厭だってことじゃないの。きっと……」
笑った顔には未練はなさそうである。
「男と女って、意外と簡単にくっついたり離れたりするもんだな」
ふだんの彼には似つかわしくない言葉に思えたが、一笑に付することが出来なかったのは私も同じことを感じていたからである。些細なことで心が熱く揺らいだり、逆にふとした言動が煩わしく感じたりすることもある。

 強引に誘った旅行の時。弥生の存在は私にとって肉欲のはけ口でしかなかった。待ち合わせ時間を三時にしたのも観光やドライブを楽しむつもりなどさらさらなく、セックスだけが目的だったからだ。三時に出ればだいたい五時ごろ旅館に着く。風呂と夕食を済ませればもう夜だ。余計なことはいらない。弥生の体だけあればよかった。

 途中思わぬ事故渋滞があって予定より遅れてしまったが苛立ちはなく、むしろ無駄が省略されたと思っていた。
 弥生はしきりに宿泊費のことを気にしていた。
「半分払うわ。高いでしょう?」
「それはいいよ」
「でも、悪いわ。あたし母から少しもらってきたから」
「今日のこと、話したの?」
「あなたと行くこと?まさか」
声を出して笑った。
「文化研究会の友達ってことにしてあるの。でも、急だったからどう思っているかわからないけど。うちの母は細かいことは言わないから」
弥生はふっと息をつき、
「心配?」
私の顔を覗き込んだ。

 宿は山の中腹にあり、部屋からの眺望はなかなかのものであった。西空にはまだ明るさが残っているものの、麓の家々には明かりが灯り東の空には星が瞬いていた。遠く土浦や石岡の市街が夕景の中に広がっていた。

 案内してくれた仲居が部屋を出ようとすると、弥生がそっとにじり寄って白い紙包みを手渡した。
「お世話になります」
しごく落ち着いた話しぶりである。
「ご丁寧に恐れ入ります」
何度も頭を下げて出ていく仲居の姿には目をくれず、私は知らん顔をしていた。そういう行為には馴染みがない。

「お茶、淹れたわ」
急に弥生の声音がまとわりつくように煩わしく感じられたのはなぜだろう。
「風呂にいってくる」
「内風呂だったら二人で入れるのにね」
少しはにかむように言いながら弥生は手際よく浴衣とタオルをそろえた。
 部屋を出ようとすると弥生が呼びかけた。
「宿帳に、あたしのこと何て書いたの?」
「何てって、名前は書かないよ。他一名」
「そうか、そうよね。……あたしたち、夫婦に見えたりして」
おどけた顔で言ったが、私は笑わなかった。

 湯に浸かりながら、ふつふつと沸き上がってくる混濁した想いに気分が塞がれていた。
(何という不愉快さだろう……)
冗談にしても夫婦気取りの真似ごとは不快な圧迫を覚える。今泉の気持ちを考えたのはこの時だ。あいつもこんな思いに苛まれていたのだろうか。
 思えばすねかじりの学生の分際で女と旅館に泊まるなど親が知ったら何と言うだろう。あきれ果てて言葉もないのではないか。それを一人前の顔をしてやっているのだから弥生が少々浮かれたとしても責める資格はない。弥生の体だけを目当てで来ている身勝手な自分なのだ。腹を立てる筋合いではないが、それでも容易に不快感は消えなかった。


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