年の差-2
毎日の過酷な労働が全く苦にならなかった。自分のこの労働が憲銀の生活を支えていると思うと励みすら出た。ただこの仕事は自分が長い間携わってきた本来の仕事ではない。この時期、自己破産以来背を向けてきた自分の仕事への回帰を考えていた。
憲銀もまた大きな悩みを抱えていた。そしてそれは同時に私の悩みでもあったのだ。
この五月で憲銀の日本語学校の学生として得た留学ビザが切れる。大学に進学するか、中国に帰国するかの選択を迫られていた。ただ、その時の二人には大学に進学するための資金が不足していた。その時の私の収入では二人が生活するのがやっとであった。このままでは確実に別れがやってくる。それは二人が最も望まぬ未来である。
既に大学の入試は済んでいた。大学に進む事で日本に滞在する道は既に閉ざされていた。何か方法はないかと入管へ足を運ぶが道は見つからなかった。残るは私と憲銀が結婚する事だけである。半ば決心しかけた時、憲銀が別の道を見つけてきたのだ。
”留学延長”
妹の死、アルバイト・・・。苦しい生活の中で憲銀は日本語学校の授業には無遅刻無欠席で通っていた。それが憲銀を救った。憲銀が希望すればあと一年の間日本語学校の学生としての延長が認められるという。ためらい無く憲銀に期間延長の申請書を提出させた。
もしその申請が認められなければ最後の手段敷しかない。結婚である。延長申請と同時にその準備も進めていた。
三月ももう終わろうとする頃、延長申請の許可が下りた。一安心である。とりあえずこれであと一年の余裕が出来た。あと一年あれば憲銀を次のステップに進ませるだけの準備が出来る。大学に進むのか、それとも日本で理美容師の資格を得るために理美容の専門学校に進むもよし。それは憲銀が決めればいいことである。憲銀の夢を叶えさせてやるために私は働いてその資金を作ればいい。そのための期間が一年延びてくれた。
この時、憲銀の勤勉さに感謝した。