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憲銀の恋
【純愛 恋愛小説】

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新たな生命(いのち)-1


 憲銀の帰国の危機はひとまず回避する事ができた。日本で暮らす事を望む憲銀のこれからの道は一年かけてゆっくり考えればいい。憲銀が様々な問題を抱えているように、私自身多くの問題を抱えていた。その中には憲銀には話せない問題も含んでいる。一年あればそれも何とか解決できるであろうと私自身安堵した。

 憲銀の日本での三年目の春が訪れた。妹の突然の自殺から一年、さすがに憲銀の顔からその不幸な影も消えていた。憲銀は今日も朝からアルバイト探しに歩き回っていた。

 晩御飯を食べているときであった

「トーミン、アルバイト二つも見つけたよ」

 憲銀が嬉しそうに報告した。

 ひとつは憲銀の学校からもこのアパートからも近い個人経営の理容店、もうひとつはちょっと遠いが格安価格のチェーン店である。明日は学校から近い店の方に面接に行くという。望まぬ帰国という危機から開放された憲銀は本当に明るくなった。そんな憲銀を見ているだけで私も嬉しかった。

 翌日の事である。仕事から帰ってみると憲銀の部屋に電気がついていない。今日憲銀は朝からアルバイトに出かけた。夕方には帰ることが出来ると言って出かけたはずだが、部屋には電気がついていなかった。

 部屋に入ってみると電気もつけず、憲銀は布団に横たわっていた。怒っているときの憲銀のいつもの姿である。

「憲銀、どうかしたのか?」

 私の問いかけに、くるりと背を向け返事もしない。余程機嫌が悪いと見える。こういうときにはほったらかしにしておくに限るのである。ご飯の支度を済ませてシャワーを浴びに行く。シャワーから帰ってみると一人黙々とご飯を食べていた。



 ご飯を食べると機嫌が直るのも又いつもの事である。見るだけで口から火が出そうなコチジャンたっぷりの煮物を口に運びながら憲銀が話し出した。

「あの店変、おかしいよ。何も出来ない日本の若者、私の倍。わたし何でも出来る。トーミン、何故か? 私が中国人だからか?」

 憲銀の話によると今日から一緒にアルバイトすることになった理容学校の学生はアルバイト代が憲銀の倍だという。そのあまりにひどい差別ぶりに憲銀は怒っていたのだ。

 私が ”そうだ” と言ってしまえば火に油を注ぐようなものである。せっかく納まった憲銀の機嫌が再び悪くなるのは目に見えている。一度消えた導火線に火がつかぬよう私は慎重に言葉を選んで返事した。

「残念だけど、まだまだそんな日本人が多いんだ。憲銀はそんなところで働かない方がいい。明日、もうひとつの店の方に行ってごらん」

「トーミンもそう思うか。明日別の店行てみる」

 納得したかどうかはわからないが、憲銀の気持ちはとりあえず治まったようである。憲銀の大好物のオレンジがたちまち食卓の上から姿を消した。

 ”来年は憲銀を理美容の専門学校に行かせ日本の理、美容士いずれかの資格を取らせよう。日本の資格さえあれば中国人というだけで不当な差別を受けることもなくなるだろう”

 私はこの時、憲銀のこの日本で進むべき道の形がはっきりと見えた。



 結局憲銀はアパートから遠く離れた格安チェーンの理容店でアルバイトする事に決まった。来店客も多く兎に角忙しい店である。店としても憲銀のような経験者はありがたいと見え、他のアルバイトとほとんど同じアルバイト料を支払ってくれた。憲銀にはそれが一番嬉しい事のようであった。

 二人の休日が重なった日、市内に三つほどある理美容専門学校を回ってみた。何処も最終学歴が高卒以上であれば問題は無いと言う事であったが共通して危惧したのが憲銀の日本語の理解力であった。授業についていくためには単に日本語を話せるだけでなく難解な日本語の読み書きが出来なければならない。過去にも留学生が入学した例はあったが日本語の壁に阻まれて卒業には到らなかったようである。最初に訪れた専門学校、そして次の学校・・・共に憲銀の受け入れには難色を示した。

「日本語検定の一級を取得できたら受け入れさせていただきます」

 最後に訪れた学校の校長がそういってくれた。入学の手続きは十月である。憲銀が検定一級を取得し、私が入学金を貯めるだけの時間は、充分ではないが残っている。希望が出てきた。

 憲銀の妹は留学二年目には日本語検定の一級を取得したという。憲銀の部屋に妹が使っていた受験のための参考書が残っていた。

 中身を読んで愕然とした。日本人の私が半分も理解できないのだ。文系の大学生でも完全に理解するのは難しいであろう。憲銀にはそのほとんどが理解できなかった。いくら中国で日本語を勉強していたとはいえ僅か留学二年で一級を取得した憲銀の妹の頭の良さに脱帽である。

 道は険しいが突破するしかない。この日から憲銀と私の猛勉強が始まった。


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