憲銀の独白-1
私と別れた後、憲銀はマスターに美容の技術を教わりながら同時に男と女の関係になっていた。あの晩がその始まりであったのだ。マスターは憲銀の部屋に泊まることが多くなったという。そのうち憲銀はマスターとの結婚を夢見る様になった。マスターもそれを匂わせていたという。マスターと結婚すれば憲銀は日本での永住と理美容の仕事を同時に手に入れることが出来るのである。ただそのためには中国に残した夫との離婚が不可欠であった。日本語学校の冬休みを待って憲銀は中国に帰った。夫との離婚を進める為である。
夫に対する愛情は残ってはいなかった。憲銀の夫にしても日本に行ったまま中国に帰ろうとしない憲銀との結婚生活に見切りをつけていた。二人の間に生まれた娘を憲銀の両親に託す事を条件に離婚はあっさりと決まった。
「これ、中国の離婚証明書ね」
憲銀がバッグの中から日本の運転免許証ほどの大きさのカードを取り出し、私に見せてくれた。中国では離婚すると離婚証明書が発行されるのである。晴れて憲銀は独身の身となった、これで日本での再婚の道が開かれたのだ。
独身の身となり再来日した憲銀に対し、マスターは豹変する。それまで毎晩のように憲銀の部屋を訪れていたマスターの足が次第に遠のいていったのだ。
「マスター、女いたね。お店のお客さん。マスター、この女の人とずっと関係あった。私知らなかたね。その女、私に言たよ。マスター、遊び。私との関係遊び。本気じゃないと教えてくれた」
憲銀がそのことを知ったとき、中国の夫とは既に離婚していた。憲銀も又自分の妹と同じ仕打ちを日本で受けることになったのだ。
「マスター、セックスだけ。わたし本当に愛してくれたのはトーミン。でも、わたしトーミン裏切った。罰ね。日本の正月くる前にマスターとは分かれた。今わたし一人。仕方ないね。学校終わたら中国帰るよ」
日本語学校に居る事のできる期限は入学から二年間である。それが過ぎると再び日本の大学に入学して留学ビザを再取得するか、もしくは中国に帰らなければならない。この春にはその二年間が終わるのである。打算だったのかもしれない。日本の大学に進むだけの資金を持たない憲銀にとってマスターとの結婚は日本に住みつつ、念願である理美容の勉強を続ける唯一の手段でもあったのだ。
私には憲銀のその選択を責める事は出来ない。あのときの私にはそれを実現させてやるだけの力が無かったのだから。
「トーミン、私を愛してくれた。でもトーミン老人。家もない、お金少ない。わたし不安だた。だからマスターと関係持た。マスターとセックスした私をトーミン許すか?」
許すも許さないも無かった。憲銀に限らず女であれば誰だってそうしたであろう。それに私自身が別れた後も憲銀を愛し続けていた。憲銀の裏切りを知ってさえ憎む事はできなかった。今仕事を得、住まいを得ることが出来たのも憲銀との出会いがあったからである。
「俺は今でも憲銀を愛している。これからもずっと」
私のその返事を聞くと憲銀は私の胸から泣きはらしたその顔を離し、自分の唇を私の唇にぶつけてきた。それは今まで憲銀が一度も見せた事のない激しさであった。重ねあった唇の中でお互いの舌が、そして唾液が行き来した。生涯のうちで一番激しいキスであった。
二人の激しい感情は憲銀の部屋に戻っても全く収まる事がなかった。玄関のドアが閉まるのを待つのももどかしく、冷え切った部屋の冷気など全く気にもせず、身に着けている物を全て脱ぎ去り、抱き合ったまま冷たい布団に倒れこんだ。
男と女がひとつになる手順など全く不要なほど憲銀は濡れ、私は固くなっていた。布団に倒れこんだそのときには私達は既にひとつになっていた。
激しく動く私を憲銀も激しく動いて迎える。憲銀の中は驚くほど熱く、そして潤んでいる。それでいて憲銀の中で激しく暴れまわろうとする私を強く締め付けてきた。
一度目の山が訪れる。憲銀が逝き、私が果てても二人の高揚感は納まらなかった。又直ぐに次の頂を目指して抱き合った。
何度果て、逝ったのかも判らぬほど求め合い、気が付かぬまま抱き合って眠りに落ちた。