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憲銀の恋
【純愛 恋愛小説】

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悲しい告白-1

 日本語もままならぬ中国人留学生にとって繁華街のヘヤーサロンでのアルバイトというのはいかにもハードルの高い事のようであった。面接を終え、店から出てくる憲銀の顔には笑みが無かった。

「ここダメね、次行く」

 それでも次の店に向かう憲銀をとめることができなかった。

 一週間のアルバイト探しで私達に残ったのは疲労と軽い失望感。憲銀には日本のヘヤーサロンで技術を学びたいという願いと共にどうしてもアルバイト先を決めなければならない理由があった。

「もうお金ないよ、冷蔵庫の中からぽ」

 悲しげにそう言う憲銀を見るのがつらかった。明日から学校が始まるという。アルバイト探しは今日までしか出来ないのだ。しかし今日も憲銀のアルバイト先は決まらなかった。

 日が傾く頃、憲銀を伴い近くのスーパーに向かう。食べるものが底を突いたという憲銀をそのまま家に返すわけには行かなかった。両手に抱えきれないほどの食料品を買い与え憲銀を家に帰した。私の乏しい所持金も残り僅かとなっていた。買い物袋を抱え家路に向かう憲銀の後姿を目で追いながら、又単調な明日からの暮らしを考えていた。



 図書館の開館を待ち、本を読み、原稿の升目を埋める。そんな単調な生活に戻った。あの日憲銀と別れて以来市民センターには行ってはいない。もう自分の役目は終わったのだ。

”一週間の夢”

 今の自分の境遇を考えると夢で終わらせた方がいい。自分にそう言い聞かせ、ただひたすら原稿の升目を埋め続けた。

 図書館の休館日、私は一週間ぶりに市民センターに出かけた。図書館の休館日に椅子と机が自由に使える場所はここの他無かったのだ。憲銀は学校に戻った。もう逢う事もないだろう・・・そう自分に言い聞かせて部屋のドアを押した。

 僅か一週間前の出来事だというのに随分と前のことのように思えた。この椅子に胡坐をかいた憲銀がいた。そっと椅子に腰を下ろすと憲銀のぬくもりが感じられるような気がした。

 閉館のベルが鳴った。帰り支度を急ぎセンターの外に出た。いつもは閑散としているセンターの前がゴールデンウィークの余韻を惜しむヒトの群れで溢れていた。
 図書館の階段下に向かおうとしたときである。

「トーミン、トーミン」

 思わず振り返り、人の群れに目を凝らす。そこに憲銀がいた。

「やといたか、私毎日ここに来たけどトーミンいなかた。悲しかたね。トーミン私に会いたくなかたか?」

 逢いたくないはずがない、しかし自分の役目は終わったと自分に言い聞かせてここに来なかっただけである。まさか憲銀が毎日私に逢いにここに来ていたなどと思いもしなかった



 人の群れの中で小さな憲銀が更に小さく見えた。私はそんな憲銀に向かってただ首を横に振るだけだった。
 憲銀の顔に笑みが浮かぶ。そんな憲銀をいとおしいと思った。

 市民センターの脇を流れる川岸の遊歩道はこの時間ともなるとさすがに人通りが途絶える。そこのベンチに私達は腰を下ろした。川面をじっと見つめていた憲銀が突然話し出した。

「妹、一ヶ月前に自殺した。私、責任あるね」

 憲銀の予想もしなかった突然の告白に一瞬戸惑った。返事を返す事もできず憲銀を見るとその頬に大粒の涙が落ちていた。

「アルバイト見つからないのは罰ね。妹自殺した日、私、妹の悩み聞かずにアルバイト行た。その日妹自殺したね」

憲銀が泣きじゃくりながら語ったそれはあまりに衝撃的な内容であった。

 憲銀の妹は憲銀が日本に留学する二年前に日本に留学したという。中国に未だ幼い娘と夫を残しての留学であった。そんな憲銀の妹は日本で恋に落ちた。相手は日本人の銀行員。憲銀の妹が主催していた中国茶サークルの受講生だったという。その男を心から愛し、その男との結婚を決意し中国の夫と離婚、最愛の娘は判れた夫に託し、中国に残してきたという。しかしそのことを伝えられた男は急変した。突然転勤願いを出し、自分の故郷へ帰っていった。その後憲銀の妹がいくら連絡を取ろうとしても電話口にさえ出なかったという。その男にとって憲銀の妹とのことは遊びでしかなかったのだ。憲銀の妹の決意を知り、いとも簡単に捨て去り、逃げ去ったのである。しかし憲銀の妹は既に全てを失っていたのである。あまりの失意に悩み、苦しみ、そして精神に変調をきたした。自殺したその日、憲銀の妹は憲銀に対し繰り返し自分の心の苦しみを訴えていたという。しかし、憲銀はそんな妹を振り切ってアルバイトに出かけた。そしてその留守の間に憲銀の妹は自ら命を絶った。その日から今日まで憲銀は自らを責め続けていたのだ。

「私のせいね、私アルバイトでかけたから・・・・」

 全てを告白する間中、憲銀は繰り返しそう言いながら泣きじゃくっていた。頼るべき者など誰一人いないこの日本で、憲銀はただ一人自らを責め続けていたのだ。その苦しみを思うと泣きじゃくる憲銀に対し、私はかけてやる言葉ひとつ見つける事が出来ずにいた。


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