第9話 玲子の思い-2
玲子も視線を合わせる事無く俯いたままで、寂しげな表情で苦笑いを浮かべながら話していた。
「思わず、陽一さんの嫌な部分見ちゃって・・・もう駄目だった。こんな年増なんて、抱いてもらえるだけでも、ありがたいと思わなくちゃいけないのに・・・生意気でごめんなさいね」
玲子は、陽一の事を名前で呼ぶようになるほど、気持ちを取り戻していた。
それでも、全てを受け入る事は出来ずに、どこか距離を置く形だった。
「ねえ・・・陽一さん。お仕事の方、これからどうするつもりなの?。まさか・・・まだ辞めるつもりでいるの?」
「ええ・・・田舎にでも帰ろうかと思ってます」
陽一も、徐々にと落ち着きを取り戻していたが、消沈気味の態度は変わりなかった。
「どうしてなのよ?・・・あんなにやる気があったのに、どうしてなのよ?」
「分かったんです・・・僕に向いていないのは・・・・・・。結局、人と関わる仕事は、僕には無理だったんですよ」
「そんな・・・私と約束したじゃないの、出世したら私のお店に陽一さんが部下を連れて来るって・・・・・・」
「ええ・・・確かに、初めてこの店を訪れた時に、ママと約束をしましたね。でも・・・それも叶いそうにありません。このまま実家に帰って、家業の農家でも継ぎます。のんびりと、誰とも関わらずに、暮らすのも良いかと思いましてね・・・・・・ふふ」
陽一の表情は、どこか開き直りにも似た笑みを浮かべていた。
「陽一さん、逃げる気なの!?」
「逃げるって言うか・・・僕はただ・・・・・」
「ただが何よ?・・・結局、あなたは逃げようとしているだけなのよ!。本当にそれで良いの?・・・仕事が嫌になったからって・・・本当にそれで良いと思ってるの!?。」
玲子の感情は次第に高ぶり、陽一を圧倒していた。
「それは・・・でも、このまま続けても、僕に越える事はできません。もう・・・無理なんです」
「越える事が出来ないんじゃなくて・・・越えようとしてないだけなのよ!。目の前に高い壁があるからって、ただ諦めてるだけよ!」
「ママ・・・・・・」
「ごめんさいね・・・説教じみた事言っちゃって・・・・・・。でもね・・・私だって同じような経験があるのよ。前の旦那と別れた時かしら・・・その旦那の借金を背をわされて死に物狂いだったわ。昼間はパートに出て、夜は他のお店で働いて・・・それでも、自分のお店を持つ事は諦めなかったわ」
二人目の夫と別れた時だった。
ギャンブルに明け暮れて、借金を残して忽然と玲子の前から消えた。
しかも、玲子の働く店の女と一緒に、姿をくらましていた。
玲子がたまに、仕事帰りに自宅へ招きいれていた時から、徐々にと関係を深めていたのだ
「借金取りから催促を受けながらも、コツコツとお金をためてね。時には支払いが遅れて、身体で払わされた時もあったわ・・・・・・入れ替わり立ち替わりに、目の前で次々と男達が代わって行くの・・・・・・ふふ」
玲子は笑ってみせるが、過酷だった当時の記憶が鮮明に蘇り、身体を震わせていた。
「あいつらのまき散らした匂いの残る部屋で、シャワーも浴びずに汚れた身体のまま一人で泣いた事もあったわ・・・・・・。それでも死のうとか・・・逃げだそうとはしなかったわ。だって・・・お店を持つ事が唯一の心の支えだったから・・・他の事に逃げたら、私じゃ無くなる気がして・・・それだけは、絶対嫌だったの!。だから、今の私がここに居るのよ!」
玲子は思わず熱くなり、陽一に訴えかけるような眼差しで声を上げた。
それでも、黙って裸のままで説教を受ける陽一の姿は、滑稽にも見えた。
「本当に長くなってごめんなさい。まあ・・・要するに陽一さんは、ただ逃げ道を作りたいだけなのよ・・・実家に帰って、家業を継ぐ・・・・・・。それで家業を継いでお父さんと、お母さんが喜ぶと思うの?。それに・・・また壁にぶつかったら、陽一さんは必ず逃げだすと思うの・・・このままじゃ逃げ出す事が癖になっちゃうのよ!」
玲子の言葉は、徐々にと陽一に効いていた。
歯を食い縛り、両膝を強く握りしめる姿は、過去に対する戒めのようだった。
玲子の言う通りに、陽一は逃げるような生き方をしてきた。
そのツケが、この期に及んで回り、玲子の言葉で実感していた
「良い?・・・陽一さんは女の人からも逃げてばかりだから、こうなったのよ。恥をかいたって良いじゃない・・・好きな人に勇気を持って言えたら、今頃は心の支えになってたはずよ。まあ・・・今は一人で立ち向かうしかないけど・・・それでも一生懸命頑張れば、必ず誰かが救いの手を述べてくれるはず・・・・・・。そうだわ・・・とりあえずは、今は私が陽一さんの事を支えてあげる・・・辛い時は、私だけに逃げてきて・・・・・・」
玲子は、はだけるチャイナドレスを片手で覆いながらも、もう片方の手で陽一の手に差し伸べた。
それでも陽一に取っては、その優しさがただ辛いだけで、目を瞑りながらも視線を避ける様に横を向いた。
「でも・・・僕はママに、あんな酷い事を・・・・・・。もう・・・ママに合わせる顔なんてありません」
「私は覚えて無いわよ。目を覚ましたら、ただ目の前に陽一さんが居ただけ・・・それに、酔って変な事をしようとしたから・・・私は酔い覚ましに陽一さんを思いっきり引っ叩いただけよ・・・・・ふふ」
「そんな・・・止めて下さいよママ・・・ママの優しさが余計に辛いです。ママは優しすぎます・・・だから僕は甘えたくなって・・・あんな事に・・・うっうっ・・・・・」
玲子の優しさは、弱っていた陽一の心に止めを刺すようだった。
陽一は、何度泣いたか分からない涙を再び見せていた。
室内には、陽一の嗚咽する音だけが、しばらく響き渡っていた