第5話 優しさの代償-1
鏡越しに陽一を見つめる玲子の眼差しは、真剣そのものだった。
その瞳に吸い込まれるかのように、陽一の目はくぎ付けになり微動だにしなかった。
二人は、鏡越しで見つめ合っていた。
しばらくして、玲子が優しく微笑むと、陽一に近づき背中に頬を寄せた。
「陽一さん辛かったでしょう。もう、無理しなくて良いから・・・・・・。今日みたいに飲みすぎたら身体に毒よ。」
玲子は、頬を陽一の背中に寄せたままで、手で背中を摩りながら話していた。
その背中越しの温もりに、玲子の優しさを感じて陽一の目に涙が溢れてきた。
「どうしたの?・・・もしかして泣いているの?」
玲子の頬に、微動だに震える陽一の背中の感触が伝っていた。
玲子は背中から離れると、鏡越しで泣いている陽一を改めてみていた。
「陽一さん、こっちを向いて・・・泣いていたってなにも分からないわ。理由は他にもあるんでしょう?」
今までの経緯を振り返ると、陽一が泣く理由としては浅はかだった。
玲子は、ベッドに両膝を付いたまま立ち、俯いたままで泣く陽一を振り向かせた。
「さあ、私に何でも言って・・・・・・陽一さんの事、全て受け止めてあげる」
玲子は、陽一の両肩に手をやると、優しく微笑みながら話した。
その優しさに誘われるように、陽一は顔を上げた。
もう帰る場所が、玲子でしかありえなくなっていた。
「ママ!・・・・・・」
陽一は、思わず玲子の胸元に抱きついた。
うっうっうっ・・・・・・
陽一のすすり泣く声が、室内を支配した。
玲子もまた、慰めるように、陽一の顔を両手で手繰り寄せていた。
玲子に包みこまれる陽一の心の傷は、優しい香水の香りと柔らかい胸の感触で、徐々にと癒されていくようだった。
しばらく二人は抱き合っていたが、陽一のすすり泣く声が止まると、玲子は両手を離した。
「どうしたの?・・・もしかして仕事の事かしら?」
陽一も玲子の問いかけに、抱くのを止めて顔を上げた。
「あらあら、まるで子供みたい・・・鼻水が出ててるわよ。ちょっと良いかしら?」
玲子はチャイナドレスの裾をたくし上げると、それで陽一の顔を拭った。
「ママ・・・良いんですか?」
「良いのよ、どうせ安物だから。それに、明日クリーニングにでも出すつもりだったから平気よ」
丁寧に陽一の顔を拭く中で、またもや玲子の黒い誘惑が露わになっていた。
しかし、今の陽一には、それにみなぎるほどの気持ちの高ぶりは無く、ただ玲子の優しさに溺れていた。
玲子が顔を拭き終えると、陽一は遠くを見るように、しばらく黙っていた。
「辞めようかと思ってたんです」
心落ち着いた時、陽一は口を開いた。
その表情は疲れ切った顔で、下を向いたまま話していた。
「急にどうしたの?。職場で何かあったの?」
「今、大事な取引先と交渉してるんです。それを僕に全て任されたんです。まだ入社して一年もしか満たない、この僕に・・・・・」
「上手くいってないの?」
「そりゃあ当然ですよ。まだ右も左も分からないようなこの僕に、全て押しつけるんですから・・・・・・。まるで、会社を止めてくれと言ってるようなもんですよ!」
陽一の口調は、徐々にと怒りを露わにしていた。
玲子は、初めてみる陽一の態度に、驚きの表情を隠せずにはいられなかった。
「ちょっと陽一さん・・・まだお酒が残ってるんだわ」
「とっくに酔いなんて冷めてますよ!。これが僕の本心なんです!。」
「わ・・・分かったわ・・・分かったから、陽一さん少し落ち着いて・・・・・・」
陽一は玲子に宥められると、落ち着きを取り戻して肩を落としていた。