第31話 バラ園-1
「良かった・・・・・。それより、大丈夫ですか?・・・凄い汗ですよ・・・・・。」
慶は、ヌルめく睦美の体を、手繰り寄せた肩を擦りながら話した。
その汗の光沢に包まれた睦美の体は、どこか美しくも映り、この状況では不謹慎ながらも、みなぎり出していた。
「ええ・・・大丈夫よ・・・・・・。それよりも、慶だって凄い汗・・・・・。」
睦美は、抱きかかえてる慶の胸元に、甘えるように頬擦りしながら答えた。
「僕の方は、心配しないで下さい・・・・・。それよりも、僕の体匂いますか?・・・・・。」
「うん・・・匂うわよ・・・・・。慶の匂い・・・私の為に、かいてくれた汗の匂い・・・良い匂いがするわ・・・・・。」
睦美は、慶の胸元に顔を埋めるかのように鼻で匂いながら答えた。
その行為に、慶は恥じらいを感じながらも、自分の切なる思いが伝わり、嬉しく感じていた。
思わず、埋まる睦美の顔を手繰り寄せると抱きしめて、二人は黙って愛を共有した。
この日で終わるはずの愛なのに・・・・・。
「睦美さん・・・見て下さい・・・・・。」
しばらくして慶は、睦美を肩で抱くと、一緒に眺めるように、目の前でスケッチブックを開いた。
「慶・・・・・。」
その絵を目の当たりにした睦美は、これ以上言葉が出なかった。
それほどに、絵の完成度が高く、睦美の言葉を失わせるほどだった。
皮肉にも、慶が睦美と共に歩もうと、夢に掛ける想いが、今頃になって伝わった作品だった。
睦美は、あの情熱的にアプローチする慶の気持ちに答えられない、惨めな自分に涙が溢れていた。
全てが、お互いの生まれた時代が悪かった。
あまりにも掛け離れた・・・・・。
睦美はそれを思うと、神をも怨む気持ちで、慶の胸元で泣きじゃくった。
お互いが愛してるはずなのに、別れる事でしか安住の地を得られない、自分の立場にやり切れない想いでいた。
慶も、その睦美の気持ちを察して、肩で抱きしめながら、宥めるかのように親指で頬の涙を拭いた。
「慶・・・・・。ありがとう・・・大丈夫よ・・・・・。」
睦美は、まだ涙は溢れるのだが、慶の気持ちに答えようと、無理にほほ笑みながら気丈に話した。
「本当・・・素晴らしい絵だわ・・・・・。この絵なら、大丈夫よ・・・・・。私は、あなたの力になれないけど・・・慶・・・あなたなら、きっと上手く行くわ・・・・・。」
・・・・・慶・・・あなたなら、きっと上手く行くわ・・・・・
数十年前の初夏のバラ園。
コンクリート造りのデザインベンチに、小学校低学年くらいの男の子と、その母親らしき30代前半くらいの女性が座っていた。
男の子の方は、スケッチブックを持って、初夏の花盛りのバラをデッサンしていた。
「お母さん!・・・出来たよ!・・・・・。」
男の子は嬉しそうな表情で、元気な声を発しながらスケッチブックを母親に見せた。
「どれどれ・・・・・。う〜ん・・・悪くないけど、ちょっと違うかな・・・・・。」
母親は、表情は優し気ながらも、子供の絵に対して厳しく評価した。
その絵は、子供特有の、一本の線で描かれた幼稚なものだが、男の子の年齢を考えると、頭一つ抜けた感じの才能溢れた作品だった。