第３０話 一枚のワンピース-1
「あっ！・・・睦美さん！・・・・・。」
慶はスケッチブックを持ちながら、睦美の居るベッドに上がると、もう一度同じように抱き抱えた。
「睦美さん！・・・しっかりして下さい！・・・睦美さん！・・・睦美さん！・・・・・。」
睦美は、先ほどよりも身体が思わしく無く、しばらく気を失っていた。
「睦美さん！・・・睦美さん！・・・・・睦美さん・・・・・。」
・・・・・睦美さん・・・・・
『・・・・・睦美さん・・・・・こちらのワンピースは、如何でしょうか？・・・・・』
睦美は気を失う中で、昔を思い出していた。
それは、政俊と出会ったばかりの頃だった。
当時、『合コン』と言う言葉は無く、男女の飲み会で、睦美は政俊と出会った。
その時からお互いが惹かれ合い、政俊の誘いで、勤め先の百貨店に睦美は出向いていた。
当時、政俊は販売事業部の主任をしており、その権限を生かして、この日だけ、睦美の為に婦人服売り場の接客をしていた。
せっかく尋ねたのだから、夏物のワンピースでもと思い、政俊に選んでもらってるのだが、生憎、その婦人服売り場は、年配層が主体のブランド物ばかりで、当時の睦美に似合うような物は無かった。
「う〜ん・・・少し地味な感じがするけど・・・政俊さんは、どうかしら？・・・・・・。」
睦美は、試着室でカーテンを開くと答えた。
好意を寄せてる政俊の為と言えど、その辺は、妥協はしたくは無かった。
むしろ、変に妥協してセンスを疑われるのにも抵抗があった。
「確かに、お客様の言われる通りに、少々地味な装いにも見受けられますね・・・・・。それでは、少々お待ちを・・・・・・。」
政俊の接客は、睦美の気を惹こうと、冗談交じりに丁寧口調になっていた。
さらに、その政俊の額には、睦美の為にと必死に駆けずり回った為に、汗が滲んでいた。
その汗は、睦美も見逃しておらず、自分に好かれようとする必死さからと受け止めて、さらに政俊へと惹かれていくのだった。
「お客様・・・こちらはいかがでしょうか？・・・・・。」
やがて政俊は、一枚のワンピースを持って現れた。
それは、白を基調とした淡い水色の花柄模様が入った涼しげな感じで、落ち着いた雰囲気の中にも、少し主張的な派手さがあり、睦美は一目で気に入っていた。
「う〜ん・・・どうなんだろう？・・・とりあえず試着してみるわ・・・・・。」
それでも睦美は、気に入った素振りを見せずに平然を装った。
案の定、試着をして鏡の前に経つと、落ち着いた雰囲気の睦美には似合っており、色々と角度を変えては眺めて、あどけない笑みを浮かべていた。
「政俊さん、どうかしら？・・・・・。」
睦美は試着室のカーテンを開けると、また平然を装いながら尋ねた。
「大変、お似合いだと思います・・・・・。お客様のような、お美しい女性には、このようなエレガントな雰囲気のワンピースが、より一層、美しさを引き立てるかと思います・・・・・・。」
「そんな・・・政俊さんたら・・・・・。」
睦美は照れながらも、的確に自分の思惑通りに評価する政俊に、同じ価値観を見出していた。
あえて平然を装っていたのは、政俊の価値観を探る為だった。
この時、睦美は政俊と一緒になる事を意識し始めていた。
さらに、その気持ちに拍車を掛けるような驚きが待っていた。
「それじゃあ・・・政俊さんがそこまで言うなら、このワンピースにするわ・・・・・・。」
「こちらのワンピースで、御宜しゅうございますね・・・・・。それではお客様・・・お会計をしたいと思いますので・・・お手数ですが、こちらのレジの方へどうぞ・・・・・・。」
値札を見ると、睦美が普段利用してる衣料店よりも少し高めなのだが、政俊の好意を考えると購入する事を決意した。
それだけ、政俊に惹かれていた証でもあった。
そして、政俊がレジを打つと、カウンターは０のままだった。