第15話 二人の想い-1
慶が睦美の手に添えた瞬間、室内は時間が止まったかのように静まり返った。
睦美は、慶の手の感触で我に返り、スケッチブックの一点を見つめるように動きが止まっていた。
そんな慶も、睦美に手を添えたまま、顔を俯き加減に黙って答えを待った。
だが、その心境は複雑だった。
気持ちが灰色のまま、睦美の魅惑的な脚に誘われるように、本能的に動いてしまったからだ。
どこか、もう少し待てばと、後悔の念もあるのだが、今は神に祈るように待つしかなかった。
しばらくすると睦美は、スケッチブックを持つ自分の左手を離した。
そして、その左手を、自分の右手の甲に添えてある、慶の左手の甲にさらに添えた。
その手の感触が伝わった瞬間、慶は床の一点を見つめるかのように、目を大きく見開いた。
これが始まりを告げるのか、終わりを告げるのか、懺悔を待つかのような心境だった。
やがて睦美は、そのまま慶の左手の甲をやさしく握り引き離すと、ベッドの上に置いた。
その瞬間、睦美に拒絶されたと思い、慶に大きな失望感が去来した。
そう、いままで睦美に想い抱いていた物が、すべて否定されたようだった。
そうなると、これは偽りのデッサンでは無く、睦美が真意の気持ちで慶に頼んだ事になるのだった。
慶は、自分の思い上がりに、今まで以上の羞恥心を感じた。
もう、睦美の顔はまともに見れずに、そのまま目を閉じ、時が過ぎるのを待つしかなかった。
だが、そんな慶の心境に、天の声が囁くかのように睦美が声を発した。
「慶君・・・・・。」
しかし、ただ慶の名前を呼んだだけで、今はそれに応えるべく振り向くしかなかった。
恐る恐る、睦美の顔を見ると、その表情は意外だった。
口元はやさしく笑みを浮かべ、目は、どこか潤んでる様な表情だった。
しばらく二人は見つめ合った。
慶にしてみれば、睦美に委ねて答えを待つしかなかった。
そして、睦美はスケッチブックをベッドの上に置き、組んだ脚も正すと、顔を徐々にゆっくりと、慶の方に近づけていった。
そう、睦美は手を添えられた時から、慶の真意を受け止めていた。
それだけで、睦美は十分だった。
後は、自分が導くだけで、答えを示すべく動き出したのだった。
それに対して慶は、黙って睦美の目を見据えながら、固唾を飲んで待つしかなかった。
やがて、吐息が慶の鼻先に掛るほど近づくと、睦美は目を閉じた。
それに釣られるかのように慶も目を閉じると・・・・・二人は唇を重ねた・・・・・。
お互いが、望んでた瞬間でもあり、始まりの瞬間でもあった。
二人はしばらく経つと、重ねた唇を離して、再び見つめ合った。
慶にしてみれば、思春期を過ぎてからの初めての経験に、思いもひとしおだった。
しばらくして睦美は、恥じらうように視線を下げた。
「私で良いのね・・・・・。」
その短い言葉の意味には、自分のような女で良いのか、親子ほど離れた自分で良いのか、二つあった。
睦美は、これから向かえる二人だけの大切な時間の為にも、もう一度、慶の気持ちを確認しておきたかった。
そして慶は、黙って頷いた。
睦美は、それを確認すると、慶の掛けてる眼鏡を両手で外して、ベッドの脇のテーブルに置いた。
そして、慶の頬に両手を添えると、再び唇を重ねた。
今度は、今までの募った思いを吐けるかのように、激しく交わした。
そう、食事を後回しにしたのも、この時の為だった。
睦美としては、初めての相手に、食後で唇を交わすのには抵抗があった。
その前に、エチケットを整えれば良いのだが、流れの雰囲気も壊したくなった。
睦美は、この瞬間を、理想の形で迎えられて幸せだった。
そして、胸の高鳴りが抑えきれなくなり、徐々にと激しさが増して絡めていった。
すべてが初めての慶は、まな板の鯉のように、ただ睦美に委ねるしかなかった。
「んふ・・・んふ・・・・・」
室内には、二人の交わす吐息の音色だけが響いていた。
慶も、徐々に雰囲気に慣れると、五感で睦美を感じるようになった。
『薄らと開けた流した目・・・・・頬から漏れる化粧の匂い・・・・・二人の交わした唾液の味・・・・・そして、耳に突く吐息の音・・・・・』
ただ足りないのは、手で感じる肌触りだけだった。
それでも、求めるものはあるのだが、経験が無い故に、怖気づいて躊躇した。
慶の手は、ベッドの上で手持無沙汰になっていたのだ。
それを見兼ねた睦美は、透明の糸を引きながら口づけを止めると、白のサテンフリルブラウスのボタンに手を掛け、一つ一つゆっくり外していった。
慶は、その光景を目のあたりにして、改めて睦美と肌を交わす事を実感したのだった。
それと同時に、睦美にはまだ告げてない事が、気掛かりになっていた。
睦美がブラウスを脱ぐと、胸を包んでいる、フリルレースの付いた、水色の光沢のあるシルクブラジャーが露わになった。
そして、そのまま慶に背中を向けたのだった。
「外してくれる?・・・・・。」
もちろん睦美は、自分でブラジャーのホックを外すのが面倒で、慶に頼んだ分けでは無かった。
初めて向かえる男女間の嗜みを、一つ一つ教えて行きたかったのだ。
慶は、小刻みに震える手で、ホックに手を掛けた。
その瞬間、睦美の背中の肌が直に指先に伝わり、さらに緊張の度合いを高くしていた。
慶は、ホックを外そうと必死になるのだが、初めてと悟られないようにすればするほど、手の震えが大きくなるのだった。
睦美は、その光景が背中からでも分かるようで、どこか可笑しくてほくそ笑んでいた。