PiPi's World 投稿小説

飛剣跳刀
その他リレー小説 - ファンタジー

の最初へ
 40
 42
の最後へ

飛剣跳刀 42

 もっとも、芙蓉の足元をみれば、波紋の小波がただ広がってゆくのに対し、丁霊龍のほうはまさに水を蹴立てるという表現がふさわしい。
 芙蓉はそれを見るなり、一度水面に立ち止まっていたところを、またすっ…と後退した。
 芙蓉の使うのは忍法「小波舟」。丁霊龍の使うのはミン帝国中心に使われる武芸のうち、「軽功」の技。 速さは、滑るように進む芙蓉より、水飛沫あげて追う丁霊龍のほうが、僅かに速い。それは、技の性質上の違いからか、それとも芙蓉がなお後ろ向きであるという体勢の不利からか。
 ただし、この時…距離を縮められつつ、芙蓉の唇はにんまりと両端を吊り上げていたのだ。
 それに、気付いてか、気付かざってか…丁霊龍は、距離をつめ、芙蓉の腕に手をのばす。芙蓉は知らず、もしこの一手にこいつの全力がこもっていたら、彼女の腕は無事に済まなかったろう。しかし、このとき丁霊龍は、この不可思議な技を使う少女に、まず色々と訊いてやろうと考えていて、まだ痛い目は見せまいとしていた。
 そしてまた、そんな相手の考えを知らぬ芙蓉のほうとて、その気になれば相手の手に空を切らせることなど容易かった。彼女が腕を掴ませてやったのは、わざと──こちらが勝利を掴むための第一段階に他ならぬ。
 ただし、まったく反応しないのも少し不自然だから、やや躰をひねって、…丁霊龍から見れば、かわそうとして、逆に腕を自ら彼の手に納まる位置へ持ってきてしまったとすら映るように動いたのだが。
 ──瞬間!
 二人の間に、水しぶきの幕がたった。芙蓉の仕業である。丁霊龍の視界も無論おおわれたが、それでひるむような男ではない。その上、こんな目くらましは、手を掴んでるうえは今更だというのに。
 が。人間の思考は、そもそも体験を通じたものだ。丁霊龍の思考に落ち度はないが、今までそれを見たこともなければ考えたこともないことを、どうして思考に組み入れられよう?
 愕然、驚倒、──いや、むしろ、この丁霊龍にして、その刹那は恐怖にすら近かったかもしれない。
 …水幕が、音を立てて落ちてゆく…その、細かな水の粒が、奇妙に軽く、落ちるというよりむしろ浮かび上がってゆく動きのようだと疑ったとき、丁霊龍は足元がぼぅと光っているのに気付いた。そして、小波が水面の裏に立っていることにも。また、はっと目を凝らせば、目の前を、水泡が、水面めがけて逆さまに立ち上ってゆく。
 否、逆様なのは、水泡ではなかった。彼自身が、水中に、逆様にぶらさがったような形になっているのであった。…気付いてみれば、服からひたひたと染み込む水の感覚も生々しい。
 思わず叫びかけて、口を開いた途端、そこからもごぼりと空気が大きな泡になって、足元へ──水面に立ち上ってゆく。
 その泡ごし、ほの暗い水の中に、白い顔が微笑んだ。
「忍法、竜宮めぐり」
 その朱唇から出た言葉は、独特の反響をもって丁霊龍に届いた。もっとも、内容のほうは、彼が理解したとも思われなかった。…というより、そもそも芙蓉のほうで理解するひまを与えるつもりがなかったといったほうがいい。
 それこそ小波のように軽く笑声を発したときには、芙蓉のほうも丁霊龍と同様に水面から水中に、逆さまに〈立って〉いたのが、言葉と同時に水面をけって、ひらりと舞い上がっている。

SNSでこの小説を紹介

ファンタジーの他のリレー小説

こちらから小説を探す