nao 80
俺が手にした薪にチラリと目をやると、細い目をさらに細めて親父さんは笑った。
「いつもやってもらっちゃって悪いねぇ。一応それはボクの仕事なんだけど…」
そう言ってゴシゴシと頭の裏を掻く親父さんの仕草を見ているのが、俺は好きだった。
ここで働くようになってもうすぐ1ヶ月になる。
街中とは縁遠い山沿いの小さな村で俺を迎えてくれたのは、暖冬の影響なんてまったく感じさせない雪の壁だった。
コアなスキー客に人気だと言うペンションとゆう名の民宿は、あんな状況じゃなかったら三日ももたなかったんじゃないだろうか。
逆に言うと、ここじゃなかったらこの1ヶ月を乗り切れたか…その自信は俺にはなかった。
─冗談だろ?
─あきら?
あの時アイツが俺に初めて見せた表情が網膜にこびりついていて。
それはどうやっても記憶から消せないままだった。
大半のスキー客は次の日朝一で滑りに行くため、夜が早い。
親父さんからは夜の11時を過ぎたら風呂なんかは好きにしていいと言われている。
ここが根強い人気を持つ一つの要因として、屋外にある露天風呂の存在があるだろう。
運よく温泉が出たから、という理由で作られたそれは、天気の良い日の夜であれば最高のもてなしを訪れた者にしてくれる。
自然があまり好きじゃない俺にとっても、その眺めは格別だった。
毎日露天風呂に入りたい放題なんだぜ、と言ったときの周りの反応を考えるとおかしかった。
きっとアリサは、『え〜っ何でアキラだけなの?!ズルイ!』とか言って。
アイツはきっと…
直樹は、たぶん、あの柔らかい表情で『へぇ、それいいね。』とか言うのかな。
もう1ヶ月が経つのに、俺の中のアイツは色あせることはなく。
日に日に増すアイツの存在感に、俺はどうしたらいいか分からなかった。
アイツを忘れるために、諦めるためにここまで来たのに。
これじゃ全然意味ねぇじゃん。
そう呟いて、苦笑する。
俺、逃げることしか考えてねぇよな。アイツの気持ちとか、自分の気持ち全部ムシして。このままじゃダメなんだって薄々気づいてはいるんだけど。
それでももう一歩を踏み込む勇気が、今の俺には欠けていた。