nao 74
そう言って微笑むとバイトに向かう朋子ちゃん。
俺はその姿をしばらくポーっと見送っていた。
その日のバイトは比較的店が空いているからか、時間が流れるのがいつもより遅く感じられた。
朋子ちゃん、もう何て言うのか決めてるんだよな。
バイト中に朋子ちゃんの姿を目で追うのがもう習慣になってしまって。その笑顔の中に答えが隠されていないか探してみたけど、いつもと違う感じは見て取れなかった。
マネージャーに上がっていいことを告げられると、更衣室へ向かう。私服に着替える間ももどかしくて。
いつもより手間取る着替えに、気付くとボタンを外す手が震えていた。
「しっかりしてくれよ…」
小刻に震える右手を左手で掴む。その振動が左手を伝わって体全体に巡った。
武者震いとはまた違う感覚に、俺はそれが通りすぎるまでじっと耐えた。
─と、ズボンのポケットが違う振動で揺れた。
慌てて携帯を取り出すと、画面を開く。
from:今野朋子ちゃん
着替え終わったから、地下鉄の入り口で待ってるね(^_^)
メールを見てやっと覚悟が決まってくれたのか、今度は言うことをちゃんと聞いてくれる体に感謝した。
更衣室のドアの横にある洗面台で髪を整えると、俺は待ち合わせ場所へと急ぐ。…なるべく彼女を一人でいさせたくなかったんだ。
地下鉄へと続くエスカレーターの前で、俺は朋子ちゃんを見つけた。すぐ駆け寄ればいいのに、俺の臆病な足は歩みをゆるめる。
彼女の華奢な体が地下鉄から吹き込む風に揺られる。右手で髪を押さえながら、それでもそこに立つ朋子ちゃん。
乱れてしまった髪の毛を手鏡を取り出して直す朋子ちゃん。
その彼女の何気無い仕草から、俺は目が離せなかった。
「直樹くん?」
いぶかしげな彼女の声に呼ばれる。
気付くと俺は朋子ちゃんから5メートルの距離で立ち尽くしていて。慌てて側に駆け寄る。
「ゴメン、ちょっとボーっとしてて。けっこう待たせちゃったよね?本当ゴメン。」
そう言って彼女の表情を伺うと、本当に…何て言えばいいんだろ。
俺の大好きなあの顔でフワッと笑ってくれたんだ。
「全然だよ。こっちこそゴメンね…疲れてるとこ呼び出しちゃって。」
…そんなこと言われたら、俺もっと君のこと好きになっちゃうんだけどな。舞い上がりそうな感情を必死に抑える。
「…ご飯でも食べに行こうか?」
「あ、うん。でもね、できたらあんまり人がいないところの方がいいな。」
さっきとは違う固い表情の朋子ちゃん。俺の風船のように膨らんでいた気分がシュウシュウとしぼむ。
「それじゃ、学校行こうか?今の時間じゃ誰もいないだろうし…」
「あのね、こないだ二人で行った公園じゃダメかな?」
鮮やかな紅い葉が、脳裏に浮かぶ。あそこで葉っぱと一緒に散るのもいいかもしれない。仲間がいっぱいいるから、きっと寂しくないだろうし…