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媚薬の罠
官能リレー小説 - レイプ

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媚薬の罠 860

縄文時代には、閉鎖的な集落ではなく、人の交流を盛んに行っていた集団だったと考えられている。
また墳墓の埋葬が、弥生時代には夫婦らしき男女の遺骨が並べられて埋葬されているが、縄文時代の埋葬はそうした形跡はない。
狩猟の技術を伝えた者の遺骨には弓や鏃が乗せられ、漁の技術を伝えた者の遺骨には亀の甲羅やマダイの頭の骨などが飾りとして乗せられた服装品が発掘されている。
縄文人は、それぞれの得意な役割を行いながら暮らしていたらしいことが想像できる。
まだ上下関係の集団ではなく、トレーディングカードゲームで、デッキの中身のカードを入れ替えるように、必要に応じて人が移動して、自由に集団を組み替えることが、生きる残るために都合が良かったということだろう。
縄文時代には、個々の能力差、得意分野の違いは存在していたが、取り分の大小が決まるような階級は、おそらくなかったと考えられる。
たとえば集落内に、溝や塀などで区画されたり、特別な場所を占有したりする居住跡がない。特別な構造や規模の施設、財産を副葬した大きな墓などがない。みんなに、ほとんど差のない土坑墓が用意されていた。
身分階級ができたのは、弥生時代の水稲耕作を中心とした生産経済が導入されていくなかで変化していったものらしい。
弥生時代になると、人は土地を占有するようになった。囲い込んだ土地で人は米作りを始め、生産力が上がれば、米を備蓄した権力者もあらわれる。収穫した米を税金にして、権力者はしだいに生産にかかわらなくなる。人の関係に階級ができ上がり、富の分配が行われる。
食糧の安定した供給と引き換えに、臨機応変に組織の交流と人の入れ替えができる利点を失ったといえる。
縄文時代から弥生時代になったことで、階級の貧富の格差ができた以外にも、生きるための労働時間に変化が起きた。
狩猟や漁を行い、森林などから季節に応じて果実な木の実を集めていたり、小さな畑などを作り森林に行く手間をはぶいてみたりしていた縄文人たちは、弥生時代の水田の稲作にくらべて、労働時間と労力は少なかった。
弥生時代の水田の稲作は、狩猟や採取より安定して一定量の食糧を確保できる。しかし、収穫までに育てる手間と時間がかかる。狩猟や採取の生活では、育てる手間や時間が必要なかった。

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