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さよならの向こう側
【悲恋 恋愛小説】

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第二章 合わない視線-2

俺のばぁちゃんは、名前を百瀬ハルという。
大正時代も終わりの頃に生まれたとのことで、今は…たぶん八十の真ん中あたりの歳だったと思う。
あやふやなのは、俺が生まれた時からばぁちゃんは『おばあちゃん』だったから、歳なんて改めて数えたこともなかったからだ。
子供は、長男の武夫伯父さんを筆頭に、そこから少し歳が離れて次男の俊之伯父さんと三男の健太郎…これが俺の親父。
と、まぁ、三人の男の子を立派に育て上げた逞しいかぁちゃんだったわけで。
反対に、ばぁちゃんの夫でもある俺のじぃちゃんは、いつもニコニコ笑ってて穏やかなカンジの人だった。
まだくそガキだった頃の俺は、ばぁちゃんちに来る度に悪戯しまくり暴れまくりで、そんな俺を追いかけ捕まえケツをひっぱたくばぁちゃんとのお決まりのやり取りを、じぃちゃんは楽しそうに見ていたっけ。
でも、ばぁちゃんより5つ年上だったじぃちゃんは、六年前に死んじまって。
俺のお袋のほうの両親は、お袋が高校生だった頃にやっぱり死んじまってるってことだから(だから、俺は会ったことがない)今、俺にとって『祖父母』と呼べるのはこの、ハルばぁちゃんひとりだけだ。

そのばぁちゃんが…認知症に、なった。

「亮がこっちに顔を出さなくなった翌年に、かぁさん転んで腰を痛めたんだよ。それから、あんまり歩けなくなってなぁ。しばらくして、何だか言ってることが変だったり、昼間にうとうと寝てるかと思えば夜中にふらふら歩き回ったりし始めて…。おかしいって気づいた時には、もう遅かったんだよ」
ばぁちゃんがどこかに行ってしまったので、フロアから延びる廊下の長椅子に武夫伯父さんと親父と三人で腰掛けながら、俺は、武夫伯父さんの言葉を何だかドラマの台詞みたいだと思いながら聞いていた。
でも、ドラマなんかじゃないんだ。
だって、家族の顔もわからないままにばぁちゃんは、虚ろな目をして無表情で通り過ぎていったのだから。

人間、年をとるとボケてくる…なんてよく言うけど、この『ボケ』も、メガネを探していたら実はおでこに掛けてました(笑)…みたいな程度では済まなくなってくるパターンがあって、それを『認知症』というのだそうだ。
脳みそが小さくなってしまったり、頭の血管が詰まってしまったり…原因はいろいろあるみたいなんだけど、飯を食ったことを忘れたりすることから始まって、季節がわかんなくなって真夏にセーター着込んだり、夜中に朝だと思って出て行っちゃったり…明らかに周りの人間が見たらおかしいなって気がつくころには、すでに進行しているものらしい。
やがて、漏らしていることもわからなくてトイレに行かなかったり、昼夜問わず歩き回ったり、行動が危なかっしいから手を貸そうとする家族に思いっきり抵抗したりなどの症状が増えてきて、家で生活することが難しくなって老人ホームに入ったりするそうだ。
(ただ、老人ホームには、認知症じゃなく病気や年のせいで手足が不自由になった人たちもたくさん住んでいるとのことだが)

「ばぁちゃん…いつから伯父さんたちのこともわからなくなったの?」
「ん〜、今年に入ったくらいかな。でも、これも日によって状態には波があるから、時々わかるときもあるぞ」
「そうなの!?」
「いや、ものすごく時々だけどな」
…それは、ほとんどわからねぇってことじゃん。
正直、ショックだった。
あの、声がでかくて色黒でよく笑うばぁちゃんが。
俺のケツひっぱたいた後には必ず抱きしめてくれた、白い割烹着のふかふかしたばぁちゃんが。

俺のことを、忘れてしまった。

「…お袋は今、お袋にしかわからない世界に住んでるんだよ、きっとな」
親父が、坊さんのような世界観の言葉でどうやら俺をなぐさめてくれているらしかったが、俺はこぼれそうになる涙を抑えるのに必死だった。


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