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走馬灯
【その他 官能小説】

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走馬灯-12

これは逃避ではない。 厳然たる事実。自分に抱かれる。自分に包まれる。たまったものではない。少なくともピンチはチャンスではない。『あの時のかおり』を演じるよりもいっそのこと『あの時のかおり』になりたい。かおりでなくとも肉欲にまみれた女になりたい。そうすれば…って…え?

…。

…?。

『変わらなかった。今度はお前なんだ。』

…。

『俺はダメだった…あとは頼む。』

…。

……。

………。

ちょっと待て…と思う。笑えてくる。憑依する前、つまり前回の俺は前々回の俺に殺された。要は俺が田宮であった時に抱いたかおりは前々回の俺、だった。これは流石に笑えた。俺は俺を抱き続け、俺は俺に抱かれ続けているのだ。輪廻、神への冒涜。頭が痛くなってきた。卒倒しそうだ。

ならばピンチはチャンスとも言える。俺が繰り返しの走馬灯の中で何度も通った『変えない』勝負所、今がその時なのだ。出来る。やれる。ここで、やらなければおかしな歪みが出来るはず。過去を変えたい。少しだけ抱かれる勇気が出た。

善は急げ、『タミヤ』炸裂。





こうなる前、少しだけ話は遡る。課内討議で選抜された班、AとC。顧客はこの会社のシステムを全面的に信頼している(と考えられる)ため、社内で競い合うことになった。いわば試金石のプレゼンである。どちらに転んでも利益は変わらない。しかし、継続のためには、社・課の信用に関わる。下手な商品・プレゼンは出せないため、Bは予選落ちだった。Bの既存社員は新人を怒鳴り散らしていたが、微妙な話だ。

『やってみせ いってきかせて させてみて ほめてやらねば ひとはうごかじ』

山本五十六は尊敬する人物の一人だ。上司がこのような想いで接しなければ、新人はつぶれていく。帝王学とは対極で初任学という学問を説く機会がもしあれば、こんな上司を探せというコンテンツを作りたい。新人が仕事をできないのは上司の教育が悪いからだ。

自らを棚に上げないことだ。新人は、今だけは知識が足らない。その内追い越し、見返すはず。いや、むしろ相手にはしないだろう。その時には窓際で鉛筆を削っては、自由に新聞を読んでいるがいい。

A班田宮の弁舌が冴え渡ったプレゼンは華やかな大失敗に終わった。権利は小林を擁する企画課のC班がもぎ取ったのだ。理由は簡単。小林の人当たりの良さと田宮の冷淡なまでの的確さが比較の対象となったからだ。

小林は自分の不器用さ、語彙不足を計算に入れ、ふざけた…いや…くだけたプレゼンをやってみせた。これはこれで高等な技術であると今更ながら思う。後に『ブレイン田宮』、『トーク小林』と課内で名物コンビを演じるわけだ。ただし小林には課長という役職のおまけがついたが。

クライアントは商品と商品説明を考慮せず、ショーをせいぜい楽しんだ。後に小林の商品でケツに火がついたクライアントは、この会社を罵倒し続けたあげくに会社を鞍替え、そして倒産。社長は焼身自殺に失敗し、東京湾に入水した。信頼とはあっけなく崩れ去る。今も教訓として心に残っている。

C班では祝勝会が開かれるということだった。「気を落とすなよ。説明と用意した商品の質は明らかに勝っていたから。」A班のナンパ先輩社員のあたたかい言葉。冷たくもC班の祝勝会に参加する、A班のナンパ先輩社員のあたたかい言葉、だった。惨めさを乗り越えてこそ、社会人。戦いを終えれば仲間、それが社会人。だからと言って祝ってやる気はない。勝っていた。俺は明らかに勝っていたのだ。

戦いが終わってまで仕事をすることを、殊勝なことと判断する人がいないと知っている。負けず嫌いだと言われるから虚しい。次には負けないために、自分との戦いを始めると考え、ほっといてくれれば、と思う。誰もいないと感じていたオフィス。パソコンのキーを叩く音が、永続的に鳴り響くはずだった。


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