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はるかぜ
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にわかあめ-2

「びっくりした。来てるならそう言ってくれればいいのに」

声を掛けると同時に春風の携帯が鳴る。これじゃあ何の意味もない。

「ごめん。でも走ってきたからだよ」

近づいてきて長い腕が私を抱きしめる。ふわりと春風の匂い。染み付いた香水と汗が混じって薄くなったような匂い。素直にその抱擁を受けて彼の背中にそっと手を伸ばした。

「心配だったんだ」

頭にそっと口付けされて大きな手が髪を撫でた。それだけで私は嬉しくて鳥肌がたつ。

春風はこんな風に少し遅くなると迎えにくる。心配だったと言って。それがとても幸福だった。

「ありがとう」

少しへこんだガードレールの向こうを車が数台通っていく。春風はそっと離れて、私の手を握る。どこから見ても恋人同士。私の歩調に合うように彼がそっと歩き出し、少し遅れて私も後に続いた。

でも、私達は、まだ、何もしていない。
手を繋いで、抱きしめて、頭を撫でて。
それだけ。

幸せなのに心は雲が増えていく。
どんどんと灰色の雲が。

本当に私の事好きなの?歌手を辞めたかったから口実にしてるだけじゃないの?ってたまに聞きたくなる。

二人で歩けばあっという間に春風の家に着く。もうすっかり片付いた部屋は居心地の良い空間で、私用のクッションやパジャマが当たり前のように置いてある。歯ブラシとかジュースも。他にも色々。ただいまと玄関で言って、部屋へ上がり、クッションのあるところに座る。先に上がっていた春風が冷蔵庫から麦茶を出して金魚のイラストがプリントされた私のグラスに注いで持ってきてくれる。少し前に、こんな風に至れり尽くせりを受けて思わず

「芸能人ってもっと高飛車だと思った」

と洩らしたら、春風はお腹を抱えて笑っていた。それから、私にだけ特別だと言った。彼から金魚のグラスを受け取って喉を鳴らして飲む。ちょうど良い濃さの麦茶。これも春風は自分で作っている。隣に座って同じように麦茶を飲む春風をちらりと見る。上向きで喉仏がごくりごくりと動いている。私の視線に気づいたのか、グラスを小さなテーブルに置いて、自分のすぐ横をぽんぽんと叩く。

「おいで」

私は小さく頷き金魚のグラスをテーブルに置いてそっと春風に近寄る。お尻と手だけでずりずりと動き、春風の横に座った。彼はそっと頭を撫でて反対の手で抱きしめてくれる。心がきゅっとなって、雲が晴れる。心臓の音が聞こえそうで、顔が熱くなった。春風はずるい。顔も格好よくて、私に優しくて。

だから、聞けないじゃないか。失うのが怖くて。言えないよ、キスして欲しいなんて。拒絶されるのが怖くて。

そんな不安を出すように春風に抱きつく。ぎゅっと力を入れて。突然でびっくりしたのか彼が手を止めて私を見下ろした。彼の胸に顔をぴっちりつけているけど、ずっと見ている。

「どうしたの?」

胸の、腕の中で私は首を左右に振る。何でもない。気にしないでというように。彼は私を離して顔を見ようとした。素直にそれに応じて俯いたまま離れる。長い彼の十本の指が私の頬を両方から挟んで上を向かせた。心配そうな彼の顔が目に飛び込んでくる。

「どうしたの?」

甘い声。何人もその声で口説いてきたの?って聞きたくなるくらい優しい声。何でもないっていう一言がいえなくて、また首を振った。

「何でもなくないだろう?」

俯こうとしても彼の指が許してくれなくて顔を持たれてるように上を向いていた。切れ長の春風の瞳が私を見つめている。こんな風にされたいファンの子が日本には何千人も居る。

「大丈夫」

やっと小さな声でそう呟いて、薄く笑った。彼は諦めたように手を離し頭を撫でてくれる。

私はまだ彼を信じきれていない。
二人で小さなベッドに一緒に寝て、私が寝るまで、彼はずっと抱きしめていてくれた。


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