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はるかぜ
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にわかあめ-1

 あのねって話しかけるのを躊躇っている私がここにいる。春風が帰ってきて一ヶ月。嬉しいのに私の心の中は寂しくて、寂しくて死にそうだった。心がつぶれてしまいそう。以前と変わらない春風。でも、どうしてその目に私は写ってないの?何度も聞きたいって思って、でも、聞けなかった。また春風がどこかに行ってしまったら今度こそ私は、どうにかなってしまうから。

 友達のゆきはRain Emptyの大ファンで、高校の時からコンサートを見に東京まで行ってしまうほどで有名だった。今、私はゆきの家でRain Emptyのスクラップやビデオを見せてもらっている。

「りつが好きだったなんて知らなかった。言ってくれればよかったのに」

百円均一で買ったらしい安っぽいファイルは全部で十三冊あった。その中の一冊を手に取りぱらぱらとめくる。私の知らない春風の顔がそこには溢れている。

「ね、いつから好きだったの? 」

ゆきがミルクティーを入れたカップを渡しながら聞いてくる。私は最近と短く答えた。手に持ったカップは熱くてファイルを膝に置いて両手で抱える。

「そうかー。残念だね。休止しちゃったんだよ、知ってる?」

ゆきは部屋に貼られたポスターを見てため息をつく。知ってるも何も、私のために『暁』は歌を辞めたのだ。そんなことでも言えなくて、頷いてポスターを見る。そこにも知らない春風が居る。それから数時間たっぷりとRain Emptyについて講義を受けてからゆきの家を後にした。CD貸してあげるという申し出を丁寧に断って家の外まで見送りに出てくれたゆきに手を振った。家までは徒歩十五分くらい。途中二度携帯電話が鳴った。一つは母からの着信でもう一つは春風からのメール。母の物は今日はどっちの家に帰るのかということで、春風からは今どこだという物だった。


私には帰る家がふたつある。

帰ってきた春風は私の家に改めて挨拶に行った。母と祖母は嬉しそうに春風を向かえた。けれど、父は違った。家に問題を持ち込むなという風に部屋を出て行った。あんなにはっきりと意思表示をした父を久しぶりに見た。

だから、というわけではないけど、春風は自分で私の実家に近い所にアパートを借りた。近所のおばあさんが大家さんのそこは古くて、ワケありの人が住むという噂だった。春風にはぴったりだった。引越しを終えた夜、二人だけでダンボールが積まれた部屋で缶ビールを一本ずつ飲んだ。私はまだ未成年だったから、お酒になれてなくてすぐに赤くなって、彼はくすくすと笑った。その笑いに誘われて私も笑って、それで、勢いで聞いた。

「未練ないの?」

って。その時の春風の顔を忘れない。酔っていたのにそこだけ写真を撮ったように頭に鮮明に残っている。彼は寂しそうに笑った。未練なんてないよって言いながら。

「そう」

分かったふりをしてしまった。笑顔を浮かべながら。自分のために歌を辞めた人に、未練があるなら戻っていいよなんて言えなかった。
会話が途切れて二人で黙々とビールを飲んだ。つまみもなく、少しぬるくなったビール。私は顔が熱く感じていたから、赤くなっていたと思う。

「これ」

春風が沈黙をやぶるようにポケットを探って出したのは銀色の鍵だった。私の方へ差し出す。そっと指先でつまむとひやりと冷たかった。春風が手を離し、ビールを煽る。

「ここにはいつ来てもいいから」

空になった缶を置き、私を見つめる視線。ドキドキするほどそれはやさしくって、格好よかった。やっぱり彼は芸能人なのだ。

「ありがとう」

手のひらで握り締める。素直に嬉しかった。
その日から私には二つ家が出来た。


 今日は春風の家に行くと約束しているので、母の電話にはそう言った。春風のメールにも返事を打つ。メールを打つのはすごく苦手で、いつもゆきに馬鹿にされていて、今回もとても返すのが遅くなった。送信し終わってほっとして携帯をしまい、顔を上げると、そこには苦笑いを浮かべた春風が立っていた。歩きながらで気づかなかった。


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