Unknown Sick-42
「正、和?」
戸惑いながら美鈴は彼の名を呼んだ。その声に正和は反応し、目を大きく見開いて彼女を見る。
「姉さん」
「どうしたの、正和?」
「嫌なんだ、こんな所に、少しでも、居たく、ない」
途切れ途切れの言葉は、とても切実で、とても悲しかった。
「大丈夫よ、正和。ここにいれば大丈夫だから」
美鈴はそっと正和に近寄る。
「だから、今は休んで」
微笑みを浮かべながら、彼女は正和の頭を撫でる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」
頭を両手で抱え込み、自分に言い聞かせるかのように何度も「嫌だ」と繰り返す。
しかし、やがてその声はくぐもったものに変わった。
「いやだ、いやだ、イヤダ、嫌だ、イヤダ」
見てみると、彼は喋りながら血を吐いている。ぼとぼとと粘度の高い血液だった。
周りの医者の顔が一変する。担当医が各々の医者に指示し、指示された医者は、てきぱきと動き出す。
「あは、ははっはははははははっははははっ!」
何が面白いのか、正和は笑い出した。それは、とても醜くて、とても……哀れだった。
「あはははっ、あっははははっはあっははっ!」
美鈴には耐え難かった。彼の醜態が、彼の狂いようが。前もそうだった、と彼女は考える。入院する直前、正和は血を吐きながら笑っていた。
彼は言っていた。俺は正常だ、と。異常だとしても、正常を保てるならば問題ない、と。
その言葉に彼女は悩まされた。異常なのに、正常だということに。それならば問題ないだろう、という正和の言葉に。
「あはっはははっはははははははははっ……」
ベッドに押さえつけられ、口の周りにまだ乾ききってないどろどろとした赤黒い血がある。彼の笑いも収まったのか、今は自分自身で呼吸を整えている。
「大丈夫?」
なるべく優しく、なるべく穏やかに美鈴は言う。だが、笑顔は引きつり、声は変に高くなっていた。
恐る恐る美鈴は近づき、正和の頭を撫でようとした。
すると、正和は大きく目を見開いた。
「あなたのせいだ! あなたが俺を壊していくんだ! あなたが俺を駄目にするんだ! 姉さんが……姉さんじゃなければ!」
精一杯の呪いの言葉。壊れた彼の呪いの言葉。
「ごめんね……ごめん、ね……」
美鈴の瞳に涙が浮かぶ。
「もう嫌だ……こんなの、嫌だぁぁぁあぁああぁぁぁぁ!」
再び彼の思いが叫びとなって現れる。
美鈴はその叫びに耐えられず、病室を出て行った。