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パルティータ
【SM 官能小説】

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パルティータ-7

 …………

雨はいつのまにか止んでいた。陽が傾きかけていた。人妻から、途中で渋滞に会い、かなり遅れると電話があった。男は樹木に囲まれたテラスの椅子に全裸のまま腰を降ろし、瞳を閉じた。野鳥の囀る声が静寂のあいだを縫うように聞こえてくる。言葉にならない思索は夢となって彼の中に描かれる。
男はこれまで女性と心から交わった記憶がなかった。男には離婚した妻がいた。五年ほどの短い結婚生活だった。妻とどこで知りあって、どうして結婚したのか覚えていない。曖昧な結婚だった。ただ妻と最初に会ったとき、男の中に何かの遠い記憶を彼女が呼び起こさせた。それがどういう記憶だったのは定かでない。おそらくその記憶の気配が彼女を受け入れた理由だった。でも妻とのあいだに《ほんとうの意味での性的な交わり》はなかった。それは限りなく生理的なものだったと言える。感情のない、熱を含まない、色彩のない、そしてストーリーを生まない交わりだった。

男が妻と暮らした家を最後に出て行くとき外は雨だった。そのとき妻はいなかった。きっと妻は誰か別の男と寝ていたと思った。妻には結婚する前から関係を持っていた男がいた。そしてその男とは結婚してからも関係を続けていた。その事実を男は、どんな理由をもっても拒むことができなかった。それは唯一、ほんとうの妻を知るためのストーリーだったのだから。
偶然、垣間見た妻の白い背中に微かに残る薄い条痕……それが鞭によるものであることに男は気がついていた。妻がその男と《そういう特別な関係》を続けられることに、彼は嫉妬と焦燥を感じながらも、なぜか自分の甘美すぎる疼きを抑えられなかった……妻がその男とそういうストーリーを持てる女だということに。彼は妻が不在のあいだ、《限りなく性的な夢想の自慰》に耽ることができた。
玄関の扉を開けたとき雨はあいかわらず降り続いていた。男は妻の傘を手にした。男はその傘がふたたびこの家に戻されることを予感した。なぜなら彼は妻の中にある、彼が知らないストーリーを最後まで読み解いてはいなかったのだから。

――― あのときの傘は今でも男の手元にある。ただ、今の自分がこの傘の持ち主である妻の顔も、声も、姿も、思い出せないことが不思議だった。


遠い過去の記憶が気だるく流れていく。真夜中の静寂が物憂い甘さを感じさせる。男は微かに性器の勃起を感じた。意味のない勃起と言ってしまえば苦笑してしまうが、彼の命題はきわめて禁欲的な貞操にいかに忠実であることができるか、あるいは自分を性的に不能化し、もっとも純粋な性の証(あか)しに到達することであると思っていた。
それは彼がスーツケースを売る仕事を始めたときから考えていたことだった。スーツケースの中に入れるべき、自らの証しという記憶を探して……。そして男はあの女性と出会った。彼女のことが忘れられなかった。その女を性的な心象として想い、自慰を続けた。それはどこまでも性的な観想であり、記憶であり、いつのときも夢精だった。男はその女とのストーリーを描くにあたって、不必要な性欲を排出しなければならなかった。彼自身の命題に答えを見出すために。それは中世の修道士が罪を贖うために自らの肉体に鞭を打ち、性欲を削ぎ、神に近づこうとした至福の時間に似ていた。


その女性と出会う以前、まだ若かった男は自分が牢獄に監禁された夢をよく見ていた。牢獄は、男にとってあのときの記憶として描かれ、そのとき初めて自分の中に漂う記憶の性を意識した。
少女を監禁したという感覚と、彼自身が少女によって囚われた感覚が入り乱れ、彼自身の輪郭をぼんやりと崩していった。男は囚われた罪人のように牢獄に封じ込められる。苦痛に晒され、意思を削がれ、肉体を放棄し、生理的な性欲を無能化させられる。牢獄は彼に夢想の、記憶の中の女性を描かせた。その女性に対する覚醒された純潔……それは彼がこれまで考えてきた、もっとも完璧な性愛の自己実現の方法のように感じた。そして牢獄の夢は彼に何度なく、夢精を強いるようになっていった。

妻と別れてから、男は亡き叔父が所有していたこの別荘に移り住んだ。この別荘の地下室は、もともとワイン貯蔵庫として使われていたものだったが、その場所を彼は、自らに科せた《特異な意図》を実現するための場所、すなわち牢獄として改装した。地下へ続く狭い螺旋階段を降りたところにある狭く暗い牢獄は、鉄格子の扉で閉ざされ、陰鬱で重厚な石の壁と床はひんやりとした空気が覆っていた。燭台には蝋燭が灯されていたが、牢獄は仄暗い暗闇に沈み、唯一の光は鉄格子の扉から洩れてくる微かな蒼白い光だけだった。牢獄の真ん中には大理石の一本の柱が立っていた。柱は顔のない女の裸体をかたどった彫像だった。なぜ、こんな場所に彫像を模した柱があるのかわからない。悩ましいほどの裸体は成熟した大人の女性というよりは、明らかに未成熟で可憐な少女の優柔の肉体だった。そしてつるりとした下腹部には性器の穴がくり抜かれていた。叔父が生きていた頃、男はこの彫像の性器の穴について聞いたことがあった。叔父はこの穴にワインを少しばかり滴らせ、それを唇ですすることによって味見をしていたことを語ったことがあった。
男は柱の彫像に記憶をくすぐられた。性器の穴から滲み出してくるような冷気は、まるで彼を捕えた少女の嘲笑のように彼の肉体を呪縛し、確実に彼の中に漂う純潔の記憶に触れてくるようだった。



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