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花屑(はなくず)
【SM 官能小説】

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花屑(はなくず)-3

彼とのあのときプレイの記憶は鮮明にわたしの中に残り続けていた。そして何よりも跪いた青年が裸婦像の臀部に接吻している彫像が醸し出す奇妙なエロスは、わたしの過去の記憶をえぐり出し、渦を巻き始めていた。なぜ、ここに彼の像があるのか……そして並べられた裸婦像は、なぜわたしに迫ってくるのか。そのとき裸婦像が自分自身であるような錯覚をいだいた。眩暈(めまい)をもたらすような錯覚は、息苦しい戸惑いでわたしの心の中をひたひたと乱していった。

わたしはそのふたつの彫像に魅了され、とても長い時間、その像の前で佇み、不思議な感覚に浸っていた。そのとき背後から声をかけてきた男が倉橋だった。彼はまるでわたしを待っていたようにすっと肩を並べ、彫像が自分の作品であると言った。
そのときわたしは、この作品が未完のものではないかしらと何気なくつぶやくと、倉橋はこう言った。そうです。裸婦像に顔はありませんが、それぞれの像は完成されています。しかし一体の作品としては未完であるのです。そして倉橋は、そのモデルの青年は一年前に亡くなったと言ったとき、わたしは驚きを隠せなかった。その理由を聞き返す言葉を咽喉の奥に息苦しく呑み込んだとき、わたしの胸の奥がしびれるように痛むのを感じた。
わたしは青年像には顔があるのに、どうして裸婦の方に顔がないのかと尋ねてみた。
倉橋は、女性の顔は自分にとっていつも未知のものですと言って笑った。わたしはその意味が理解できなかった。
そして彼は言った。「この作品が未完のものであると気がつく女性を待っていたのです」
そんな会話がきっかけでわたしは彼とつき合うようになった。ただ、わたしは若い青年の像について倉橋に問うことはなかった。

無造作に髪を伸ばし、無精ひげを生やした倉橋は、何よりも過剰な自意識を内に秘めたような魅惑的な情熱を漂わせていた。わたしは彼の容姿よりも芸術家らしい圧倒的な雰囲気にいつのまにか惹かれるようになっていた。
倉橋とつき合い始めてから彼に体の関係を求められたことはない。なぜなら彼は肉体的に不能だった。それもまだ十七歳のときの交通事故が原因で男性器に障害が生じ、彼はこれまで異性との肉体的な交わりを、そして自慰すら断たれていた。
彼は女性の肉体を知らなかった。知らないことで女性の顔が見えなくなったと言った。そのときわたしは彼と初めて会ったときの言葉が理解できた。彼において女性との性愛は心と体において未知のものなのだと。だからといって彼とあいだに性愛の感情が生まれなかったわけではない。いや、不能だったからこそ倉橋がわたしにいだいた性愛なき性愛は、逆にわたしと彼の関係をより深めた。それはあくまで彼の芸術家としての観想の上でのことだった。

あるとき彼はわたしをモデルとしてデッサンを申し出た。どうしてなのかと尋ねると、裸婦像の顔を仕上げたいと言った。あの婦像の顔にわたしがとてもふさわしいと彼が言った言葉をわたしはよく理解できなかったが、彼の声が胸の奥を甘く揺るがしたことを覚えている。わたしはあの裸婦像を見たときから、自分があの裸婦像のモデルになることを予感していたような気がした。
彫刻のための下絵のデッサンは週に一度、彼のアトリエで行われた。わたしは自分の裸を初め
て彼の前に晒した。そのときすでに五十歳に達していたわたしは、モデルとはいえ自分の体を男性の前に晒すことにためらいと恥ずかしさを感じたが、彼の瞳はわたしの肉体というより、わたしの中に深く潜んでいるものを探ろうとしているかのようだった。
わたしの裸体の隅々まで這わせられる倉橋の視線は棘のように鋭く、身体の輪郭をなぞりながらわたしの心を鷲づかみにするように濃厚に迫ってきた。わたしはそういう視線を自分の軀(からだ)に浴びた経験がなく、またそういう視線で自分が見られることに慣れていなかった。
 
デッサンは何度も描きなおされ、半年ほどたったとき、知人からわたしに結婚の話がもちかけられた。知人をとおして紹介された中年の男性は小さな貿易会社を経営していた。真面目さがとりえだけの優男だった。ジム通いをしているのか、よく鍛えられた筋肉と肉厚の胸部、逞(たくま)しい腕、堅く引き締まった腹部や太腿、ほどよく灼(や)けた肉肌はこの年齢の男の深みを湛えていた。もちろんわたしが《そういう仕事》をしていた女であることを彼は知っていたが、そのことが彼とわたしのあいだの性愛の妨げにはならなかったと思っている。
わたしは結婚後、関西に移り住むことになり、倉橋とは会うこともなくなった。一度だけ彼に電話をしたとき、短い言葉でわたしの結婚を祝ってもらったことを覚えている。そしてわたしのために彼は着物を送ってくれた。



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