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花屑(はなくず)
【SM 官能小説】

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花屑(はなくず)-2

突然あのとき、わたしを指名してきた彼は、あまりに美しすぎる肉体をわたしの前に晒した。全裸で跪き、わたしのハイヒールの先端に礼儀正しく頬を寄せ、臀部に美しい指を添えて接吻した。そのときの彼の指や唇の感触は今もわたしの中に漂っている。彼はわたしをどう求めるべきか、彼の想像の中でわたしをどう描くべきか、わたしにどう隷属すべきか、そのすべてを心得ていた。
天井から鎖で吊り下げられ、宙に浮いた彼の顔も肉体も恍惚として煌めいていることにわたしは不思議な酩酊を覚えた。わたしは彼の前で鞭を手にした。そして彼に《そういう女》として描かれていくことにこれまでになかった特別の快感をいだいた。同時にわたしは彼の美しい肉体に初めて嫉妬をいだいた(いや、それがほんとうに嫉妬と言えるものなのかは今でもわからない)。
自分が振り降ろす鞭にゆがめられる彼の肉体から与えられる快楽以上の、いや、快楽であって快楽でない、快楽とは言い難い息苦しさと飢餓感をわたしはいだいた。それは彼が自分の肉体を虐げられることによって、わたしという女を描く以上に、彼が自分の肉体の中に自分以外の何かを、誰かを、描こうとしているように思えた。
わたしはそのとき彼が同性愛者だということを密かに感じた。それはわたしの嫉妬を逆なでするようにわたしを苦しめていくようだった。わたしは彼が求める容赦ないプレイに夢中になり、自分を忘れて溺れていった。ただ彼とのプレイはあの夜、一度きりで、それ以降、彼はわたしの前に二度と姿をあらわすことはなかった。


わたしは厨房の灯りを消し、カウンターを出ると店の外の暖簾を片付け、店内の照明を暗くする。そして倉橋と肩をならべるように隣に座る。
「一杯、いただこうかしら。あなたとこうして再会できたことを祝って」
「それは光栄だな。まさか、きみに祝ってもらえるとは思わなかったよ」と言いながら、倉橋はわたしの手に触れ、盃を握らせた。
彼の手は以前と変わらず無骨で堅かったが、彫刻家の手らしく、男性的な情感あふれる熱を持ち、繊細さと意思の強さはあの頃と変わってはいなかった。
ゆるやかに流れていく倉橋との無為の時間だけが冷ややかにとおり過ぎていくように感じたとき、彼は今もまだわたしという女の性の欺瞞と虚像に魅了されていると思うのは自惚れだろうかとわたしはふと思った。

 クラブを閉じて二年後、ふらりと足を踏み入れた美術館で行われた彫刻の展覧会で倉橋と初めて出会った。いろいろな作家の彫刻が並ぶ中で、偶然、ある作品の前でわたしが足を止めたことがきっかけだった。
その彫像はブロンズで造られた《接吻》と題された彫像だった。全裸の若々しい青年が裸婦像の足元に跪き、裸婦の臀部に唇を寄せている像だったが、端正な顔をした青年の裸像に対して、裸婦の彫像には首から上の顔がなかった。頭部はあるのに顔が彫りこまれていなかったのだ。
それでもその裸婦像には、女性の肉体美の奥に秘めた情感の躍動が繊細に表現され、作品の光と影は、顔のない女性の肉体の奥に刻まれた感情と記憶、狂気、不安、迷いといった内面の悩ましい混迷を醸し出していた。
青年の彫像もまた美しく瑞々しい肉体をもっていた。けっして雄々しい男像を有していたのではなく、どちらかというと女性のような柔らかな美しさに溢れていた。尖った鼻筋と澄みきった瞳を思わせる目元、凛々しい唇をした気品のある顔、肩まで伸ばした艶やかな髪、丸みを帯びたなだらかな肩と巧緻な胸郭、細く優雅に締まった胴体、そして彫の深い男性器。男であるのに女性的な優美さがあり、女性的であるのに男性的な無垢さがあった。

何よりもわたしは跪いた青年の彫像の顔に時間を忘れて見入っていた。
似ていた………確かにあの青年に似ていた。そしてふたつの像は、あのときの記憶をわたしの中に甦らせていた。視線を青年の彫像に注ぐほど、わたしはその彫像に釘付けになった。彫像から醸し出される肉体の感覚と裸婦像の臀部に接吻する姿がわたしの中をざわめかした。
でもその彫像には裸婦像と同じように何かが欠けていた。不思議なエロスを湛(たた)えた像の美しい調和の中に、奇妙な欠落感が漂っていた。青年の像は間違いなくあのときの彼に似ているのにいったい何が足りないのかわたしにはわからなかった。わたしはその若々しい青年像の美しさの記憶に対して、欲望以上の、胸の奥を締めつけるような飢餓感をいだいた。


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