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レモネードは色褪せない
【ラブコメ 官能小説】

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思わぬ差し入れ-1




 しつこい性格だと思われたくないが故に自制していたが、気がつくと僕はスマートフォンをいじり、七瀬アイの携帯番号を呼び出していた。正午くらいに一度、それから夕方にもかけ直してみたが、いずれも繋がらなかった。
 僕は自惚れていたのかもしれない。男女の仲になったからと言って、彼女を独占したことにはならないのだから、時には距離を置く時間も必要なのだろう。
 結局この日はあきらめることにして、可もなく不可もない一日が終わり、僕は眠れない不安な夜を過ごして翌朝を迎えた。
 言うまでもなく気分は最悪だったが、頭のほうは冴えていた。起き抜けに七瀬アイに電話してみる。やっぱり繋がらない。
 昼間は古い友人と会う約束をしていたのでそれなりに充実していたけど、七瀬アイと過ごす時間の比にはならなかった。もちろん彼女を話題に出すこともしなかったし、電話もしなかった。
 そうは言っても明日にはこの町を発たなければならない。このところ浮かない顔ばかりしている兄貴を心配してか、妹が様子を見に来ることもあった。
「お兄ちゃん、調子はどう?」
「ぼちぼちかな……」
「彼女さんと喧嘩でもした?」
「まあ、そんなところ……」
 僕はまったくの上の空で口だけを動かしているという有り様だった。脱け殻だったと言うべきか。いずれにしても僕は自分の未来を見通せなくなっていた。
「これ、バイト先の余り物だけど、食べる?」
 ミソラが机の上に何かを置いた。首を伸ばすと茶色い紙袋が見えたので、中身は何だと訊いてみた。パン、と我が妹は答えた。
「今日ね、お店に来たお客さんが店長と話しているのを聞いちゃったんだ。娘が入院することになったから、しばらくはここのパンが食べられなくなるかもしれない、だから買い貯めをしておくんだって。お兄ちゃん、これってどう思う?」
 ミソラにしてはめずらしく深刻な顔をしていた。僕はどんな顔をしていただろう。おそらく間抜けな顔だったに違いない。
「人違いだよ」
 言葉とは裏腹に、僕は興奮していた。彼女だと断定できる証拠がないのだから、狼狽える必要もない。ミソラの次の台詞を聞くまで、僕はそんなふうに考えていた。
「店長はそのお客さんのこと、ナナセさんって呼んでたよ」
 ナナセさん。僕は頭の中でその名前を漢字に変換する。七瀬さん。お客さんの名前は七瀬さん。娘の名前はわからないけど、その子が入院することになったから七瀬さんはパンが買えなくなる。
「あたしから言えるのはそれだけ。じゃあ」
 僕は、僕は、僕は、自分一人で生きていけると勝手に思い込んでいた。でもそれは違う。いろんな人に支えられて生きているのだと気付いた。友人の存在、家族の存在、それに七瀬アイの存在が僕を生かしているのだと知った。
 彼女にとっての生き甲斐に僕はなれるだろうか。いや、なるんだ。彼女が頼れる存在に僕はならなければいけない。あの丘でふたたび巡り会えるように。彼女のかがやく笑顔がもっと増えるように。
「お……」
 もう一つの存在に気付き、僕はおもむろに手を伸ばした。紙袋を開けると菓子パンと惣菜パンが入っていて、小麦の焼ける香ばしい匂いが目に染みるようだった。
 初めて食べるパンはどれもおいしかった。こんなにおいしいパンが食べられなくなるなんて、七瀬と名乗るお客さんはさぞかし残念がったことだろう。
 けれどもそれ以上の詮索を僕は好まなかった。お世話になった人たちへ感謝の気持ちを還元するために、僕はもう前を向いていた。


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