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レモネードは色褪せない
【ラブコメ 官能小説】

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窓辺のレモネード-1




 光陰矢の如し、とはよく言ったもので、七瀬アイからの連絡が途絶えてからもはや二度目の夏がやって来た。ようするに季節が二周したわけで、僕は二十五歳になっていた。
 連日の真夏日にもめげず、職場での話題はもっぱら夏期休暇の過ごし方についてだった。同志を募ってキャンプに行く者もいれば、家族で海外旅行の計画を立てている者もいたりして、それこそ多種多様だ。
「速川も一緒にどうだ。キャンプ場で食う肉は最高にうまいぞ?」
 上司にあたる人から誘われたが、僕は遠慮した。炎天下でわざわざ暑い思いをしながら肉を食べる意味がわからない。冷房の効いた焼肉屋で食べたほうがよっぽどおいしいのに、と思ってしまう。
 では、どのようにして大人の夏休みとやらを消化するのかと問われると、じつはまだ何も決められずにいるのだった。会社が副業を認めてくれているので、どこかで短期のアルバイトでもやろうかなと考えてはいたが、こちらの進捗状況もあまり芳しくなかった。
 そんな折、一人暮らしをしている僕のアパートに一通の郵便物が届いた。差出人のところを見ると、忘れたくても忘れられない親友の名前が書いてあった。彼は中学校の同級生で、今でも付き合いのある友人のうちの一人でもある。
「気取りやがって」
 彼の風貌と日頃のおこないを思い出しながら開封すると、期待通りのものが出てきた。それは結婚式の招待状だった。封筒のデザインと同様、中身もかなり気取っていた。
 そうか、結婚するのか。そんなに急がなくても出会いならいくらでもあるのに、人生の半分は損したことになるかもな。でも残りの半分は何が何でも幸せになって欲しいと僕は思った。
 『出席』に丸をつけた返信ハガキを送った数日後、僕は郷里へと向かう列車に一人で乗っていた。独身最後になるかもしれない彼と飲み明かすため、夏期休暇を利用して実家に帰省することにしたのだった。
 満席に近かった車内も今ではすっかり乗客が減り、むしろ空席のほうが多いほどだ。駅弁で満たされたお腹をさすりながら、少し眠ろうかな、と僕はリクライニングのレバーに指をかけた。ちらりと後方を見る。人の頭が見えた。
「すみません、倒します」
 僕は後ろの誰かに声をかけた。とくに反応もなかったので、そのままかまわずにリクライニングを倒す。あとは寝るだけだ。
 奇妙な音が聴こえたのは、正しくそんな時だった。風鈴のような、コップに氷を注ぐような、何とも涼しげで懐かしい音だった。けれども音はそれっきり聴こえなくなった。
 あれは一体何だったのか、釈然としないまま首をかしげて座席の背もたれに体を沈めると、どこからか果物の甘い匂いが漂ってくる。爽やかで清々しく、糖度の高い匂い。
 はっとして顔を上げる。先ほどの音の正体がくっきりと輪郭を成してきた。僕はそれをよく知っている。それにこの特徴的な匂いは……。
 気が付くと僕は席を立っていて、一列後ろの座席でくつろいでいる乗客が一人だと知り、話しかけるきっかけをあれこれ探していた。
「あの……」
 僕の呼び掛けに対し、偶然乗り合わせたその乗客はすぐには反応できず、それでもおよそ二秒後には華やかな顔立ちをこちらに向け、じっと僕の顔を見つめてきた。
「……」
「……」
 しばらくはどちらも無言で、相手の乗客はおどろいた様子ではあったけれど、ほんのりと耳と目のまわりを紅く染めると、感情を抑えた声でこう言った。
「ナンパなら、ほかの人を誘ってください……」
 どこかで聞いたことのある台詞だった。ただし前回と違うところは、言った本人が泣いているということだ。
 その乗客──七瀬アイと思しき女の子は、目にいっぱいの涙を浮かべていた。窓辺にラムネの容器が飾られていて、見覚えのある便箋が入っていた。
「でも、でも、あなたがどうしてもと言うのなら、あたしじゃなきゃだめだって言うのなら、仕方なく付き合ってあげてもいいですよ……」
 彼女は声をしゃくり上げ、後半のほうはほとんど聞き取れなかった。まさかこんなところで再会できるなんて、僕は彼女のとなりの空いた席に座り、表情を引き締めた。
「君じゃなきゃだめなんだ。遊園地に行く約束もまだ果たしてないし、君の行きたいところならどこへでも連れて行く。だから、僕と付き合って欲しい」
 告白の後、彼女は泣きべそに近い表情でうんうんとうなずいた。僕は何度、彼女を泣かせれば気が済むのだろう。唯一の救いだったのは、乗客の誰もが僕たちには無関心で居てくれたことだ。
 僕のとなりはいつも空席だった。彼女のとなりもまた空席だった。これは列車の座席だけの話ではなくて、僕らがこれまでに乗り継いできたものすべてを指しているのではないだろうか。
 お互いの空席が埋まった今、彼女とならどこへでも行けそうな気がした。ラムネのおまじないが解けるまで、僕はこの夢のような夏に浸っていたいとつくづく思うのだった。
 


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