投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

レモネードは色褪せない
【ラブコメ 官能小説】

レモネードは色褪せないの最初へ レモネードは色褪せない 9 レモネードは色褪せない 11 レモネードは色褪せないの最後へ

埋もれた記憶に灯火を-1




 永い眠りから目覚めたタイムカプセルの中身を見て、僕はひどく拍子抜けした。茶色く変色した紙切れが一枚あるだけで、ほかに目ぼしいものはない。その紙切れを手に取って裏返してみると、何やら文字が書いてある。
「校舎の屋上?」
 何だこれ、と僕はまず首をかしげた。本物のタイムカプセルは校舎の屋上に隠してある、という意味なのか。なるほど、さては七瀬アイの仕業だな。僕は彼女を振り返った。
 ところが、さっきまで一緒に居たはずの彼女の姿はどこにもなく、精霊流しの送り火のようなホタルの光が尾を引いて浮かんでいるだけで、僕は独りぼっちだった。
「……七瀬?」
 悪い夢でも見ているのだろうか、彼女は忽然と姿を消してしまった。まさか僕の気持ちをもてあそぶために呼び出したのか。いや違う、彼女に限ってそれはない。これまでの僕に対するアプローチに嘘はなかったはずだ。
 ズボンの左ポケットが振動した。そこからスマートフォンを取り出して表示画面を確認すると七瀬アイからの着信だった。僕はすぐさま電話に出た。
「もしもし七瀬、今どこに居るんだ?」
 言った後、若干の沈黙があってから思い詰めた声が聞こえてきた。
「屋上で待ってます……」
「屋上?」
「絶対に来てくださいね。じゃないと、あたし……」
「わかった。わかったからそこで待ってるんだ。おい七瀬、聞こえてるか?」
 ろくに応答もないまま、そこで通話がぷつりと途切れる。嫌な予感がした。ひっそりと静まり返る校舎を見上げると、とてつもない喪失感が否が応にも押し寄せてくる。
 まずいな──いつか彼女が見せた貧血のような症状を僕は思い出していた。あれはほんとうにただ歩き疲れたせいだったのか。人には言えない、何かもっと別な病を独りで抱えているのではないか。
 頭で考えるよりも先に僕の足は動いていた。屋上に向かうには、まずは校舎の中に忍び込む必要がある。夜間だから戸締まりはしてあるだろうし、警備員が見回りをしている可能性だってある。
 では、七瀬アイは一体どんな方法を使って屋上に上ったのか。おろおろするばかりの僕の横を一匹のホタルが飛んでいく。後を追っていくとドアがあり、数センチの隙間ができていた。彼女はここから校舎の中へ入ったに違いなかった。僕はドアを開け、スマートフォンの明かりだけを頼りに奥へと進んだ。
 なぜ鍵が開いていたのかという疑問については興味がなかった。僕がやるべきことは、なけなしの勇気を振り絞ることと、屋上へと続く階段を裸足で駆け上がることと、彼女を信じることだ。
 一階の保健室の前を通り抜けて、二階の家庭科室も素通りすると、三階の音楽室とは反対側の突き当たりに目的の階段があった。立ち入り禁止ではあるものの、黄色いパイロンに貼り紙がしてあるだけなので階段を上ることはできる。
 もはや、小学生の頃に体験した数々の思い出を懐かしんでいる余裕はなかった。それこそ若くて美人の女性教師に憧れた時期もあったけど、たまたまとなりの席になったクラスメートの女子にちょっかいを出していた時もあったけど、今の僕が全力で恋しているのは……。
「ここか」
 途方もなく長く感じられた階段の先に鉄製のドアがあった。もちろんここの鍵もすでに外されている。ドアノブを握り、おそるおそる押し開いていく。キイイ、という自転車のブレーキのような音が暗がりに響いた。
 ドアをくぐると、群青色の空間に無数の星たちが瞬いていた。銀河の片隅で暮らす人間の存在なんてちっぽけに思えるくらい夜空は広く、その光景に圧倒された僕は胸の震えをおぼえ、肺に溜まったものをゆっくりと吐き出した。
 その場でくるりと反転しても星座の配置は変わることなくそこにあって、そういえば月の裏側はどうなっているのだろう、生命はどこから誕生したのか、と宇宙の歴史に思いを馳せていると視界の隅で人影が動いた。
「学校の屋上は立ち入り禁止ですよ、先輩」
 七瀬アイは、過去も未来も知っているふうにシルエットの中からあらわれ、無邪気に微笑みかけてきた。すぐそばまで近付くと、白い八重歯が可愛らしくのぞいていた。
「七瀬も同罪だろ。ていうか、僕が半分だけ背負ってやるけどさ」
「イツキ先輩って、やっぱり優しい。あの時もそうだった。泣いているあたしに優しくしてくれた。イツキ先輩のおかげであたしは立ち直ることができた……」
「ちょっと待ってくれ。何の話だ?」
 僕は必死に思い出そうとした。そして彼女の手にあるものを見て、どうやら大切な記憶を置き忘れていたことにぼんやりと気付く。
 彼女はラムネの瓶を持っていた。どうやって入れたのか、瓶の中に折り畳んだ便箋が差し込んである。これこそが彼女の言うタイムカプセルなのだろう、僕の妹たちと一緒に埋めた七瀬アイの記憶の一部なのだろう。
 すっかり炭酸の抜けたタイムカプセルが、彼女の手を離れて僕の手へと渡り、そこからいつかの夏の蝉時雨と、風鈴の音色と、潮騒とが吹きこぼれてくるような気がして、僕らは視線を交錯させた。


レモネードは色褪せないの最初へ レモネードは色褪せない 9 レモネードは色褪せない 11 レモネードは色褪せないの最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前