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烙印
【SM 官能小説】

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烙印-2

日曜日の朝、まだ覚めきらない身体を動かしながら、あなたはどこかにうしろめたさを感じな
がら、いつもと違う手のしぐさで夫の前のテーブルを拭く。その理由は明らかだった。

昨夜、仕事の帰りに寄ったカクテルバーで偶然、再会した《あの男》が原因だった。会うべき
でない男は、《会うべくして会った男》だったのかもしれない。彼に引き寄せられていく心の
奥深い襞の蠢きは止めようもなく燻り、うつろい、乱れ、あなたはそんな自分を夫の前で無意
識に覆い隠そうとしていた。


庭先の樹木のあいだから燦々と朝の光が降りそそいでいた。新興住宅地にある家は彼の母親が
住んでいたが、彼女が亡くなったことを機にアキオとあなたは都心のマンションから二年前に
移り住んできた。

仕事が早く終わってね…昨夜、急に帰ることになったんだ、と言いながら、アキオはソファに
深々と腰をおろし、あなたと目を合わせることなく新聞を広げていた。テレビの中のニュース
キャスターの声だけがふたりのあいだをすり抜けていく。あなたの胸の奥が粘着質の閉そく感
で息苦しくなる。

昨夜は、遅かったみたいだな。何気なく言う夫の言葉はいつもどんな意味もない。だから会話
が続かないことをあなたは知っている。あなたは、高校時代の同級生との女子会があったと、
きわめて平静を装いながら嘘をつく。会話はそこで途切れる。だから嘘をつける。でも、いつ
からこうなったのかもわからない。


遅めの朝食を用意する。いつものように半熟にした卵の突端の殻を割った夫は、唇を押しあて、
卵の中身を吸い上げる。

今日の卵の中身は、少し硬いんじゃないか。

こんな些細なことだけを会話にする夫の声、卵に添えた夫の指の形、夫の唇の先から卵を吸い
上げる音、そして、裸の胸肌にある無関心を装う乳首……夫の何もかもが倦怠感をいだかせて
いた。

結婚して七年もたてば、夫のすべてが洗いざらしに見えてくる。退屈も、倦怠も……そして、
夫の妻に対する無関心も、無責任さも。見えなくていいところだけが見えてくる。それが夫と
いう存在なのだと、飢えを生まない夫の体だと、これから先、どんな性愛も見込めない男なの
だと、あなたは今さらながら自分に突きつける。


夫を仕事に送り出した直後だった……。突然、家の電話が鳴った。

声を聞いて《あの男》だとすぐにわかった。その瞬間、あなたは受話器に向って発する言葉を
彼から奪われた。


昨夜、あの店できみに出会えたことが、とても懐かしくてうれしかったよ。ニューヨークから
十日前に帰国したばかりなのに、こうして早々と再会できたことは、偶然でなく、おれたちの
関係において必然だと思ってしまうね。


彼の名前は、狩野ワタル……けっして忘れることができない名前だった。夫と結婚する以前、
あなたは《彼のもの》だった……その証し(あかし)はいまでもあなたの体に残り続けている。

まさか狩野がアキオの友人であるとは思いもしなかった。結婚式のパーティの席で、夫はあな
たを彼に紹介した。意外にも狩野は夫の高校時代の同級生だった。二年ぶりに狩野に会ったと
いうのに、あなたはそのときでさえ《彼のもの》であり続けていたような気がした。
狩野はあなたを見てあの頃の薄い笑いを浮かべた。彼と目を合わせることができなかった。夫
の前で、よそよそしく初めて彼に会ったふりをした。

それとき以来、狩野とは会っていない。結婚式のパーティの翌日、彼が仕事の関係でニューヨ
ークに赴任したことを夫から聞いたのは一週間後だった。その後、夫が狩野の名前を口に出す
ことはなかった。



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