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この向こうの君へ
【片思い 恋愛小説】

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この向こうの君へA-3

「耕平君!?」
待ちかまえていたようにすずさんが声をかけてきた。
「あ、こんばんは」
まるで今日初めて接したかのように装う。
「あたし、あのね…あ〜、何から話せばいいんだろ」
「どうかしたんですか?」
さっきの事かな。話す要点がまとまらないらしい。唸ったりため息をついたりを何度も繰り返しようやく出てきたセリフは僕の意表をつき度肝を抜く、とんでもないものだった。
「あたしあの怖い人の事好きになっちゃったかもしんない!!」
『ぶ―――っ』
僕は噴水並みに珈琲牛乳を噴き出した。
なんだって?
今、何て言った?
好き?
「帰りに偶然元彼に会って、部屋にあげろってうるさくてしばらく言い合ってたの」
あの男は、すずさんの元彼。あーゆうのがタイプか…じゃなくて、言い合ってた事に気づかないくらい僕は考え込んでいたのか。
「そしたらあの怖い人が彼にぶつかってくれてね」
「ん?」
ぶつかって、くれた?
「あたしが嫌がってるのを見て助けてくれたの」
「ええぇっ!?」
誤解です!ぶつかったのは前方不注意だし、助けたつもりはないし、嫌がってたというのも今初めて知ったし!!!
「あたし男の人に助けてもらう設定にずっと憧れてたから…、あんな事されたら一瞬で好きになっちゃうよ」
「…」
急激に高鳴る心臓。これは、名乗るのは今しかないんじゃないか?だって苦手なはずの僕の怖い顔を好きになってくれた。会話だけの僕自身も好印象。
二つが重なった僕なら、もしかしたら上手くいくかもしれない!
「すずさん、僕―」
勇気を振り絞った第一声はすずさんが同時に放った声にかき消された。
「きっと見た目通りワイルドで硬派なんだよ」
「…え」
ワイルド?
硬派?
誰が?
…僕が?
ええぇっ!?
「見た目が怖いのは女を寄せ付けない為なんだね」
違うって!!硬派になれるほど女の子は僕に近づかない。それで今までどれだけ悩んだか。
僕の心の叫びをよそにすずさんの想像は膨らみ続ける。
「普段は気のない素振りで、いざという時は助けてくれる正義感の強い人なんだよ、あの人は!!」
「…はぁ?」
可愛い弟だと思いこんでるすずさんの夢を壊したくなくて顔を出せず、硬派でワイルドな正義の味方だと信じるすずさんの思いを壊したくなくて名乗れず…。
僕、内面で悩んだの初めてだ。
「そういえば、耕平君さっき何か言いかけた?」
「いやっ、何も言ってないですよ」
「そう?」
名乗る気などとっくに失せていた。盛り上がった気持ちも高鳴った心臓も急激に冷めていく。
「おやすみ」を言ってこの日のベランダの日課は終わった。
台所には手作りのガムシロップが冷水につけて冷やしてある。夏はアイスカフェオレ飲みたいからさ、甘い方が好きだし買うと高いし。
どこがワイルドだよ!!これじゃ甘党の節約主婦じゃないか。大体硬派じゃない、シカトされてるからそう見えちゃうだけ!
それに、正義の味方じゃないよ。僕はすずさんに嘘ばっかりついてる。
ため息が途切れない。完璧に名乗るタイミングが無くなった。
すずさんが好きなのは僕であって僕じゃない。こんな見かけ倒しの気弱な男だと知ったらショックだろうなぁ。
「ごめんね、すずさん」
壁の向こうへ呟いて僕の一日は終わった。


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