この向こうの君へ-1
僕の悩みは外見です。
20歳になると同時に一人暮らしを始めて半年。二階建てでワンフロアに二部屋というどこに住んでも角部屋になれる小さなワンルームアパートが僕の城。新しくも古くもなく田舎なので家賃もお手頃。就職三年目の僕には調度いい。
毎晩ベランダで隣部屋の境にもたれて大好きな珈琲牛乳を飲むのが僕の日課。たまに夜空を見上げてため息をついたりしてるけど、実は189?の長身に丸坊主で筋肉隆々といういかつい外見をしている。よく怖い人だと誤解されるけど見た目が悪いだけで普通より気の弱い一般人だ。
そんな僕の至福の時間が今夜はいつも通りに過ぎなかった。
「あぁ、ムカつく！」
突然聞こえた不平。
隣の部屋の子だ。声は背もたれにしている壁のすぐ向こうから聞こえる。ずっといたのかな…、気付かなかったし声のボリュームからして相手も気付いてなさそう。
「どうせあたしのミスですよ！」
…荒れてるなぁ。
隣の子は先月引っ越してきた。特に挨拶はなかったけど一度だけ自転車置き場ですれ違って顔や雰囲気は知っていた。僕より遥かに小さくて色白でぽっちゃりした可愛らしい子。
人生初の一目惚れだった。
だからって行動に移すほど積極的ではないので１ヶ月壁越しに片思いをしていた。
そんな男がこんな状況で声を掛けられる筈がない。このまま気付かれないように音をたてないようにして…
『ぷう〜ぅん』
「あ」
蚊だ。
『パチンッ』
無意識な一連の行動。
「えっ！」
壁の向こうから聞こえる驚きの声。
無音で過ごそうと思ってたのに…。気付かれたなら仕方ない。
「すいません」
素直に謝った。
「ずっといた？」
「盗み聞きするつもりはなかったんですけど」
「別にいいよ。あたしが勝手にわめいてただけだし」
壁越しとは言えあの子と会話してる。こんなチャンスは二度と来るもんじゃない、自分を奮い立たせる為景気づけに珈琲牛乳を一気飲みした。
「なんかあったんですかっ!?」
必要以上に力んだ口調の僕に不審がる事なく、軽く答えてくれた。
「仕事で使えないバイトばっか入ってきちゃってね、おかげで毎日始末書書かされてんの」
「仕事は何をしてるんですか？」
「え？」
「あ、すいません。言いたくないなら別に…」
「そこのスーパーでレジやってるよ。何で謝るの？」
「…よく知らない相手にあれこれ聞くのは失礼な気がして」
「知らないから聞くんでしょ？あたしは気にしてないよ」
明るい口調に体の真ん中辺りがぽわんと軽くなる。
「自己紹介してなかったね。あたし藤井すず、よろしくね」
「はい！あの、稲葉耕平です。20歳です」
「若っ、４つも年下。学生？」
「社会人です。板金工場で働いてます」
「あたしはサービス業だから昼出勤の夜帰宅で不定休でしょ？友達減っちゃって久々に人と話したって感じで嬉しいな」
すずさん…何て可愛い事を言ってくれるんだろう。
「耕平君の腰の低さが笑えるってのもあるけどね」
セリフ自体は子供扱いな内容だけど、そんな事は『耕平君』と呼ばれた事実が消してくれる。