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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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拾誘翅-4

 幸村はなおも声を枯らして配下を御していたが、多勢に無勢、茶臼山の北のほうまで敗走した。そして、安居神社というところまで来て、ついにもう歩けなくなった。
 境内の一本松に背をあずけ、そのまま座り込む。兜が傾き視界を遮るので外す。見れば、前立の六文銭の意匠が滅茶苦茶に破損していた。辛うじて一つの銭がひび割れながらも何とか形を保っている。勘の良い幸村は『影負ひ』の秘術を施した傀儡女たちを現しているのだなと分かり、ほぼ全滅したであろう千夜たちに思いを馳せた。そして、彼女らに詫びた。

「おぬしらの犠牲のおかげで家康に肉迫することが出来た。……だが、あとひと太刀及ばなかった。相済まぬ。許せ…………」

詫びの言葉は心の中で父、昌幸にも投げかけられた。

「父上……。宿願を果たすこと能(あた)わず……。不肖の息子にございます。この上は死んでお詫び申し上げるより他はございませぬが……」

言葉の途中で、向こうより松平勢がやってくるのが見えた。彼らは幸村主従を取り囲み、刃(やいば)を向けた。西尾久作という鉄砲頭が幸村の前に立ち名乗りを上げる。

「豊臣方の将とお見受けするが、いざ、尋常に勝負いたさん」

すると幸村は座ったまま力なく手を打ち振った。

「もはや……この身は立つことも適わぬ。首を差し出すゆえ、手柄にするがよい」

「……して、貴殿は?」

「わしは……真田左衛門佐……」

その名を聞いて西尾は仰天した。此度の戦で最も名を馳せた敵将ではないか。
 西尾の手はにわかに打ち震えたが、従容として死に就こうとしている相手に敬意を払い、臍下丹田(せいかたんでん)に力を込め、一刀のもとに幸村の首を刎(は)ねた。
 真田左衛門佐幸村、享年四十九であった。

 英傑の死は東軍・西軍双方に伝わり、徳川方は歓呼の声を上げ、豊臣方は落胆した。孤軍奮闘していた毛利勢も真田が消えると、さらなる四面攻撃を受けることになり城内に撤退開始。徳川秀忠勢と戦っていた大野治房勢も最終的には敗れ、城に引き上げようとした。
 城中にいた真田大助は豊臣秀頼の出馬を再三促したが淀殿の反対に遭い、それでも食い下がって、ようよう秀頼に甲冑を着けさせ馬に押し上げた。後詰の大野治長勢、七手組とともに押し出したが、時すでに遅く、敗走してくる毛利勢・大野治房勢と鉢合わせし、そのまま共に総退却するはめになった。
 申(さる)の刻(午後四時頃)を待たず、真田勢を壊滅させた松平勢が大坂城突入の一番乗りを上げ、あとは雲霞のごとき徳川方が続々と城内に乱入。遂には本丸で内通者によって火が放たれ、炎は天守にも上がっていった。
 老若男女、武士も下働きも皆が逃げる中、大助は煙渦巻く城中で自刃の支度をしていた。父の悲報に触れ、真田の敗滅を知り得た今では「死」しか取る途(みち)がなかった。
 大助は炎の熱を感じ、柱の爆ぜる音を聞きながら短刀を腹に当てた。刃はためらいなく入り、彼は見事に一文字腹を切った。死に繋がる失神の直前、大助の脳裏に一人の娘の笑顔が浮かんだ。それは、春の陽光を思わせる早喜の笑顔だった。それがゆえに、大助の死に顔にあったのは、苦悶ではなく、微かに浮かんだ笑みであった。

 その早喜であるが、まだ死んではいなかった。胸に鉛玉を受けて昏倒はしたが、乳房の下に幸村から拝領した六文銭前立を忍ばせてあり、それが弾を食い止めていたため、強い衝撃は受けたものの気絶するに留まっていたのだ。
 早喜は意識が戻ると、鼻をつく血の臭いに顔をしかめた。見ると身体中真っ赤である。傷口を捜したが擦過傷は数多あるものの深手を負っている箇所はなく、自分の流した血ではないようだった。そして、隣に仰のけに倒れている千夜の姿を認めた。額から顎にかけて真っ二つになり、朱に染まって目をむいたまま息絶えている。自分の総身を濡らしている血は母のものだった。早喜は唇をわななかせ、千夜の両目に指を当て、閉じてやった。
 周囲には仲間であった傀儡女たち、久乃・由利・音夢・睦の遺骸も横たわっていた。
 がっくりとうなだれ、床に両手をつく早喜の肩が震えていた。啜り泣きの声が聞こえた。泣涕はやがて激しくなり、早喜はしばし、涙の海に溺れた。
 しばらくして早喜が顔を上げた時、その目は据わっていた。身体を覆った千夜の血。それが皮膚へ染み通り、早喜の意識に語りかけていた。

『悲嘆に暮れている場合ではない。秘術「影負ひ」の成果やいかに。それを確かめよ』

「そうだ。殿は……、幸村様は、いかが相成った?」

あちこち傷だらけの身体を何とか起こした早喜は、他界した者たちに手を合わせ、冥福を祈ると、古い社(やしろ)から外へ出た。
 大兵がぶつかり合った後の黎明。野原は、そこかしこに槍傷、刀傷を刻んだ骸(むくろ)が多数転がっており、鎧などを剥ぎ取って金にしようとする輩(やから)が横行していた。往来では、炎上し続ける大坂城から逃れてきた敗残兵をなぶり殺しにしようという徳川の雑兵の姿があった。さらに逃げ惑う民衆……子供、老人、女らが追剥(おいはぎ)に遭ったり、押し倒されて手籠めにされるなど、悲惨な光景があちこちで繰り広げられていた。


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