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鮑売り
【その他 官能小説】

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鮑売り-5

(5)


 二年後、ぼくの家は東京に引っ越した。父が都内の進学校の教師として請われ、ちょうどぼくの大学入学と重なったこともあって移ることにしたのである。
 住んでいた家はとりあえずそのままにした。
「別荘と思ってたまに泊まったらいいさ。海に近いし冬は温暖だから」
父は言ったが、結局、ほとんど利用することもなく昨年売却してしまった。
「しょうがない。税金もかかるし」
家屋の管理は地元の業者に任せ、除草なども依頼していた。土地はかなり広かったのである。


 父も母も知らないことだが、ぼく一人で一度だけあの家に泊ったことがあった。大人になってからのことである。
(行ってみよう……)
思い立ったのは生まれ育った家が懐かしかっただけではない。
(おばさんはどうしているだろう……)
ふと思い、住んでいた頃のことを思い出してみると、その記憶は少しも色褪せてはいないことに気づいた。思えば性に目覚めた少年が幾度となくセックスを目の当たりにしたのである。混乱もしたし、狂おしいほど悶えた夜もあった。脳裏に刻まれた鮮烈な出来事が消え去るはずはなかった。

「友達の所に泊まる」
そう言ってあの町に向かった。
 何をしようと目的があってのことではなかった。行けば旧友にも会えるだろうし、家には置いてきた古いものもある。鍵は持っているから寄ってみてもいい。
 こじつけた理由はいくつもあったが、ぼくを動かしたのは甦った『おばさんに関わる記憶』であった。
(鮑……)
おばさんと鮑が一体のイメージになっていた。鮑と女陰……それが重なって熔解したのはいつのことなのか、自分でもよくわからない。思い起こせば、早田のおじさんとの初めて見たセックスが起因していただろうか。黄色い灯りに妖しく映し出されたグロテスクな性器。昂奮に翻弄されながら奇怪な印象があったのは憶えている。幼い頃から見ていた水槽の鮑の奇妙な形と様相はどこか深いところで性の本能ともいうべきものと結びついていたのかもしれない。


 駅から昔と変わらない街並みを歩きながら見知った顔を何人も見かけた。
(あの人はたしか……あれは漁協の人だ……)
だが誰もぼくに気付かなかった。みんな歳を取っていたけれど、少年から大人になったぼくの方が変貌していたということだろうか。

 閉ざされた魚屋のシャッターを遠目に確認して、ぼくはしばらく佇んでいた。消えかかった店の名前が年月を感じさせた。塗装は剥げ落ち、ところどころ錆びている。どう見ても商売はしていないだろう。

 隣家との境の路地から裏に出られる。裏口があったはずだ。
一歩足を踏み出したとたん、動悸が高鳴り始めた。自分でも意外な不意の昂奮であった。股間が瞬く間に硬直したのである。
 ぼくはすでに性体験があり、付き合っている相手とは頻繁に熱烈なセックスを楽しんでいた。だからその時の性衝動がいつもとは異質であることを自覚していた。

(おばさん……)
ぼくの頭の中には仄灯りに映し出された陰部とそれを覗き見ている『ぼく』がいた。あの頃の鮮烈な刺激が甦っていたのである。
 高校生の頃、何度か考えた。いきり立ったペニスを扱きながら本気でおばさんに頼みに行こうと思った。
『鮑がほしい……おばさん、鮑ちょうだい』
『もう、採ってないんだよ』
『ちがうんだ……おばさんの鮑……』
とても言えはしなかった。
 その性のときめきが時間を超えてぼくを突き動かしていた。

(おばさんがいる……)
曇りガラスに蛍光灯の白い灯りがぼんやり透けている。
(いる……おばさん……)
生活感はひっそりとしているが潜んだ気配を感じた。

「おばさん……」
小声で聴こえないかとノックをしようとすると意外なほど元気な返事がした。
「はい。どなた?」
物音がしてガラス戸に姿が映った。

「こんにちは」
怪訝な表情でぼくを見つめるおばさんは老けてはいたものの、想定したよりずっと若かった。
 名乗るより先におばさんの顔がほころび始めた。
「英樹ちゃん?」
「わかりますか?」
すぐにぼくを認めたことに内心驚きつつ笑いかけると、
「憶えてるさ。くりくりした目ェ、おんなじだ」
「おばさんもお変わりなくて」
「あらあ、大人の口になっちゃって。こっちはもう婆さんよ」
「いえ、ほんとに変わらないですよ。若くて……」
「嬉しいこと言ってくれるね。そんなこと言ってくれるの誰もいないよ」
「……」
おばさんの笑顔が微妙に醒めたのはぼくの視線を察したからだと思う。

 あの頃みたいなよれよれのシャツに熟したマンゴーのような乳房が浮き出て揺れていた。くっきりと突き出た乳首を眼前にして、ぼくは釘づけになっていたのである。プロポーションや美しさなどとはかけ離れた女肉そのものに劣情したのだった。
(おばさんはぼくの『目』を感じた……)
そう思う。だからこそその顔に翳のような戸惑いが走り、そのあと耳たぶがうっすら紅く染まったのだ。

「今日は、どうした?お母さんと来たんだか?」
「一人で来ました……」
「一人で……。なんか、用事かね?」
ぼくは一度俯いてからおばさんを直視した。
「……おばさんに、会いに……」
笑いながら言ったつもりだったが、おばさんは笑わなかった。

「あんた、いくつになった?」
「もうすぐ28……」
「じゃあ……」
おばさんの顔にかすかに笑みが浮かんだが泣いているようにも見えた。
「今日、帰るのか?」
「前の家に泊ります」
「ああ、あそこ。……あのままだったね」
「はい……」
「あんた、一人か?」
「はい……」
何かが吹き抜けたような間があった。

「おばさん、行っていいか?」
ぼくは黙って頷いた。
「あとで、行く」
おばさんは力の抜けたような笑いを見せた。

 


 




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