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ありがちな二人の、ありがちな日々
【女性向け 官能小説】

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割れたグラス-1


『夢を描く力を見失ってしまった迷子は、今日もベランダで月夜をぼんやりと見つめ、愁いた息を吐いている。
そんな迷子の背中を見つめる私は…』

湊は新太の寝顔を見つめながら、先刻書いて全て消してしまった物語の欠片を思い浮かべた。

(なんのために…、私は小説を書こうと思うんだろう…)

以前はどんな気持ちで書いていたのか…。

きっと、読んで欲しい人が、夫がいたからだ。
そう結論付けると、新太にはそう思うのだろうか?
自分の書いた小説を新太に読んで貰う勇気を自身に問いかけた。

「…きっと無理ね」

辛い気持ちに耐えきれず創作をやめてしまった新太に、図々しく読んで欲しいだなんて言う事は出来ないし、きっと自分が書くものなんて…。

そう思うと、苦みが胸にじわりと広がり、自分への情けなさでため息が落ちた。

ソファーで眠っていた新太は、髪を撫でられる心地良さでゆっくりと目を覚ました。

「…ごめん、起こしちゃったね」

「ううん、いい目覚めだよ? おはよう湊サン」

些かスッキリした顔で小さく笑む新太に、

「…おはようにはまだ遠い真夜中だけどね」

湊は小さく吹き出した。

「湊サン、ずっと起きてたの?」

新太が湊の髪を撫で返して少し心配そうな顔を覗かせると、

「うん…。なんだか眠るタイミングを逃しちゃったみたい」

心配ないから、と言う笑みを新太に返した。すると、

「湊サン…、おいで」

新太は湊に両腕を伸ばして、湊をソファーに迎えよう小さく笑んだ。湊は吸い寄せられるようにしっぽりと新太の胸の中に収まった。

「…また、なにか思い出してた…?」

新太は湊を胸に包み、寂しさを含む声色で小さく尋ねると、胸の中で湊は声無く微かに首を左右に振った。

「…そっか…」

ぽつりと呟き、湊の髪を撫で、新太も言葉を発する事をやめた。

画家になるという夢が叶い、描く幸せを手に入れたはずなのに、その幸せは自分が描いていた幸せではなかった。

『客が欲しいのは絵じゃない。絵に書かれた知名度のある貴方の名前だ。出鱈目でいい加減な絵でも貴方のサインが入っていれば、高値で買う上客は満足なんだよ』

三年ほど前、若くして名誉ある大きな芸術の賞を獲た新太は、美術界期待の超新星として世に名を馳せたが、その価値は、求められるのは自分が心血を注ぎ魂を込めて描く絵ではなく、世に知れた「池上新太」という名前なのだという現実を知った。

『まだまだ駆け出しの若手が自分の我を通そうなんて思い上がるな。これもビジネスの世界なんだ。客の要望に応える事が最優先。それがプロの仕事だろう』

自分の理想を大切に描く事よりも、客の都合で期日に間に合わせる事が最優先。仲介者であった名のある画商にそう言われた事が新太には大きなショックだった。

僕は、一体なんのために描くんだ…?
なんで、こんな苦しい思いをして描いてるんだ…?

幾日もイーゼルに立て掛けられた白いカンヴァスを見つめ、そんな事ばかりが頭を支配したある日、新太は、

「…もう描けない」

自分の夢と現実の価値に迷い、アトリエから逃げ去ったのだ。

夢を叶える為に両親の反対を押しきり故郷を離れた身だ。それなのに耐えきれず挫折して逃げた惨めな自分など両親には迷惑な荷物でしかないだろう。故に帰郷は出来ない。

行く宛てもなく独り路頭に迷い、湊に声をかけた事で拾われなければ、きっと生きる事を自ら止めたかもしれない。
湊の温かさに触れなければ、生を感じる自分は居なかった。

あの日から、湊の事を少しまた少しと知る中で、失ってしまった、もう世に居ない湊の夫の存在に嫉妬と羨望を感じてしまう新太は、無力で非力な自分を恨んでついつい子供のように拗ねてしまいたくなる気持ちをぶつけて、酷く湊を悲しませた事を思い出した。


『どうせ僕は、湊サンが大事に大事にしてる思い出とは違って価値のない奴だからね』

『価値がないなんて思ってない。 だけど簡単に過去にはならない事だってあるの…。それを含めて、私という一人の人間なのよ…』


それは新太が湊のマンションに住みつき、ひと月が経った頃だった。


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