乾いた餓狼に極上の獲物を-1
ウォーレンとタバサの出会い話。
二人ともまだかなり荒んでいた頃です。
――獣人の中でも、狐族というのは特に哀れだ。
細い月明かりの下。
軍の宿舎裏で狐族の女性を芝生にねじ伏せ、狼獣人のウォーレンは思った。
狐族は男女をとわず美しい姿をしている。獣姿で輝く金の毛並みもさることながら、耳と尾だけを残した人容は、人間達を驚くほど魅了した。
昔、人間達が緑の大陸を襲った時には、狐族が特に集中的に狩られたそうだ。
彼等は魔晶石を扱う能力にも優れているが、身体能力はどうしても狼や熊に劣る。
そう……ウォーレンが今、組み敷いているタバサのように。
彼女は帝国の獣人兵として、戦場で数多の敵を叩き潰してきた。
あまりの強さに加え、敵であれば獣人にも人にも容赦しない冷酷さに、金色の悪鬼と呼ばれている女だ。
また彼女は、魔晶石だけに頼らず、身体能力を駆使した武術にも秀でていた。
それでも、同じほどの訓練を重ね、同じ冷酷さをもっていれば、勝敗を分けるのは生まれ持った能力だった。
ウォーレンは狼でタバサは狐だ。
どちらが狩られ、どちらが狩る立場か、この状態が示している。
仰向けに押し倒された彼女は、人姿のままだ。
タバサが半獣になるより、すでに半獣の姿であったウォーレンが彼女をねじ伏せて喉元に爪を押し付けるほうが早かった。
悔しそうにウォーレンを睨むタバサは、本当に美しい。
アーモンド型の切れ長の瞳に、すっきりと高い鼻筋。やや薄めの形のいい唇。キツネ族の典型的な特徴を、極上の域にまで高めた美だ。
同じ帝国軍の獣人兵でも、彼女とは管轄も主人も違うから、遠くからたまに見かけるだけだった。
確か歳は二十代の半ばだったはずだ。ウォーレンよりも5〜6は下か。
こんなことになったのも、ウォーレンの暗殺現場をタバサに見られてしまったからだ。
帝国は広く、軍人は多く、多数の派閥がある。
殺されたのは帝国のとある軍人で、殺したのは帝国の獣人兵であるウォーレンで、殺しを命じたのも帝国の軍人だ。
タバサもウォーレンが着ている軍服も、同じ帝国獣人兵のものだ。
帝国軍人の人間模様は複雑で危うい部分ばかりだ。彼女の口から主人に報告が行けば、とてもまずい事になるだろう。
乾いた熱い夜風が、さわさわと木の葉を揺らす。
ここは軍用施設だけあり、草木も贅沢に育てられているが、風までは潤せない。
タバサが動けぬよう馬乗りになり、片手で一まとめに掴んだ両手首を、彼女自身の口に強く押し付ける。
ウォーレンの爪が白い喉を薄皮一枚切り裂くと、赤い血が僅かに垂れた。
獣人を殺さなくてはならなかったことは、今までに何度もあった。
種族は違えど、同胞を殺すのはひどく辛かった。初めて殺した後は嘔吐し、何日も眠れなかった。
それが……今は何も感じない。
ただ、この爪を何センチ押し込んで横に切り裂けばいいか、絶命するまでに何秒かとか、そんなことばかり考えている。
いつからこんな風になったのか、はっきりわからない。
気づけばもう、この大陸の殆どを覆う赤い荒野のように、心は乾いてひび割れて何も感じなくなっていた。
もう一ミリ、爪を押し込む。
「っ!」
くぐもった呻きが小さくあがり、傷を深くされた喉が上下した。
それでもタバサの両眼は、気丈にまっすぐウォーレンを睨みつけている。
ゾクリと、魔晶石のように青い光が背筋を走り抜けた気がした。
「……私の、恋人になってくれますか?」
自分でも何を言っているんだと思う、バカげた言葉が口をついて出た。
「ぅ?」
タバサのほうも、コイツ何を言ってるんだ。といいたげだ。
「君を殺すのは容易くても、死体を抱く趣味はありませんからね。離してあげますから、私の恋人になって抱かれて愛してください」
心底から軽蔑した視線がかえってきた。
当たり前だ。
「今すぐ抱いたりはしません。ですが、もちろん君は愛する恋人に不利なことを言ったりしないでしょう? 私の仕事を黙っていてくれますよね?」
「ぅ……」
「返答は小声でお願いしますよ」
握った彼女の手首を少しだけ口から離した。