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栗花晩景
【その他 官能小説】

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芽吹き編(2)-6

 文化祭前日は走り回っていた。プログラムをはじめ印刷物はすべて出来上がって配布してあったし、その他必要なものは用意したつもりだった。リストとの照合は三回も行った。あとは各クラブが忙しくなる番だと一息ついていると、確認を忘れたりうっかりミスが次々と判明して、使い走りの役は一年生の私に回ってきた。
 校門に置く立て看板を依頼した書道部がすっかり忘れていて、急遽、教師に頼み込んで書いてもらったり、セロハンテープが足りなくなって駅前まで買いに行ったり、それ以外にも細かなことがいくつも出てきた。
「こうなのよ。毎年必ず何かあるのよ」
細谷は汗をぬぐう私を見て可笑しそうに笑った。
「いま学校で汗かいてるのは磯崎くんだけだね」
十一月になって朝晩はストーブを使う季節である。忙しかったけれど、気持ちは充実していた。私は心地よい疲労を感じながら細谷と笑い合った。

 六時になって校内を巡回することになった。準備の進捗状況を確認しながら最終チェックをするのである。
 原則として七時には下校しなければならないことになっている。しかしどうしても間に合わない場合は、この日に限って泊まることが許された。といっても宿泊施設はないから部室や教室に寝るのである。当然、事前の届け出が必要で、それも男子に限られる。その確認も含めて回るのだった。

「二手に分かれて回ろうか」と石井が言うと、
「石井くんはここにいて。誰かいないとまずいから」
細谷は私を振りかえった。
「美術室からいくわよ」
二年生はその反対から回ることになる。それぞれ筆記具を手に部室をあとにした。

 回ってみて、ほとんどのクラブが宿泊の届けを出していることを知った。帰宅するのは女子だけの茶道部や華道部、それにブラスバンド、フォークソングなどの音を出すクラブである。
 見たところどの部も展示物など完成していて、部員は和やかに談笑しているだけである。それでも泊まるというのは、やはり年に一度のお祭り気分なのだと思った。細谷に訊ねるとその通りだと言った。
「みんな徹夜で話すのが楽しいのよ。先生たちだってそれは知ってるしね。大目にみてるの」
 泊まることができない女子も、一番近い友達の家に泊まったりするのだと言った。運動部にはないささやかな楽しみなのだった。

 逆から回っていた二年生が見えた。
「何か変更あった?」
「歴史研究会がやっぱり泊まるそうです」
「わかった。あたし職員室に行ってくるわ。先に戻ってて」
細谷が何も言わないので私は後を付いていった。
「ぼくは泊まらなくてもいいんですか?」
細谷は顔だけ振り向いて、
「実行委員はいいの。やることは全部やったし。明日は朝早いけど」
 実は親には泊まるかもしれないと言って夕飯代を貰ってきていた。文化祭の前夜は特別で、みんなでわいわい騒ぐのだと、どこからか伝わってきてクラスでも盛り上がったりしていたのである。

 委員会室に戻ると石井や二年生たちが帰り仕度を終えて待っていた。
「石井くん、いいわよ」
「じゃあ、悪いけどお先に失礼するよ」
石井は私にも頷いて挨拶した。
「彼、受験生だからね。国立狙ってるの。本当は委員長は大変なのよ。でもやる人がいないから。だからなるべく負担をかけないようにしないとね」

「何かやることありますか?」
二年生はもうカバンを手にしている。
「あとはやっておくから君たちもいいわよ」
君たち、というのは二年生に言ったようで、私は手持無沙汰に机の書類を片付けたり椅子を整えたりした。今日も細谷と帰るのだと思うと心がほのぼのとしてきた。

「明日は早いけど頼むわね」
二年生の背中に声をかけた細谷は、私にも、
「集合は七時よ。だいじょうぶ?」
「はい、そんなに遠くないから……」
「そう……」
帰るのかと思っていると、椅子にふかぶかと掛けて大きく伸びをした。
「忙しかったね。疲れたでしょ?座ったら?」
時刻は七時を過ぎている。

 私が椅子にかけると細谷は机に頬杖をついた。
「磯崎くん。今日、泊まると思ってたの?」
顔には笑みがあったが、何か改まった様子に見えた。
「はい……」
クラスにそんな雰囲気があったし、家にもそう言ってきたことを話すと、細谷はふんふんと聞きながら、
「あのね……」
声を落として身を乗り出した。
「内緒よ。あたし、去年、泊まったの。一人で……」
笑顔は消えていた。
「一人で……」
「そう。あたしの家、駅からバスなのよ。けっこう遠くてね。七時に来るには始発でもぎりぎりなの。面倒だから泊まっちゃったの。このこと誰も知らないの」
「ばれなかったですか?」
「ばれないばれない。この部屋、内からカギが掛るでしょ。外のカギはあたしが持ってるから心配ないの」
私の心にさざ波が立った。
「今日もね、泊まるの。朝大変だもの。誰にも言わないでね」
そして少し目を伏せて黙った後、
「君も泊っちゃう?」
その言葉は私の予測の中にあった。さりげなく言っているようで、細谷の表情はどこかぎこちない。規則を破ることにはなるがそれ自体はたいしたことではない。それより細谷と二人きりで秘密を約して同じ部屋に寝るのである。ただならぬ展開に気持ちはざわめいた。

「どうする?泊まるんだったら、絶対内緒よ」
「どこに寝るんです?」
「椅子でベッドも作れるし、床でも平気よ。ストーブはあるし」
細谷は部屋の隅にある大きな紙袋を持ってきた。マジックで『細谷』と書いてあり、口はホチキスで留めてある。中から取り出したのは菓子パンと牛乳である。牛乳は二本、パンは六つもある。
(私と泊まるつもりだったのだろうか)
袋の底から出てきたのはピンクのボアシーツ。
「ふふ、これにくるまるの」
ピンク色がとても派手に見えた。
「おなか空いたでしょ。食べましょ」
どこかの部屋から笑い声が聞こえてきた。


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