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栗花晩景
【その他 官能小説】

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早春編(2)-4

 夏休みに入ると、受験生としての自覚が希薄な私でもさすがに追い立てられる無言の風を感じるようになった。補修授業が行われ、急に塾へ通い出す友人もいて表だって遊ぶ雰囲気ではなかった。古賀は進路が決まっていたからたぶん気楽だったはずだが、私を誘うことはなかった。

 性に目覚めた思春期の肉体は頭で制御しようにも抗うことのできない魔性の巣窟のようなものだ。刺激がなくても反応し、いきり立てばどうしても意識がそちらに向いてしまう。寝床でも風呂場でも、勉強の最中でもそれは起こり、ほとんど無意識に手が伸びていく。日に日に成熟してゆく体は刹那の快楽を求めて私を煽り立てた。
 両親は勉強に関して何も言わなかったが、兄弟のいない私に期待するところは少なからずあったにちがいない。そんな思いがときおり過るものの、私の日常はひどく集中力に欠けたものであった。

 気持ちが散漫になるとよく近くの雑木林にでかけた。幼い頃から昆虫が好きで、夏になると毎日のようにカブトムシやクワガタムシを採っては家で飼ったものである。中学生になっても興味は変わらなかったが、この年はこれまでのように興じる気分にはなれなかった。それでも時々、林の中を歩く解放感に浸り、むせるような草いきれの藪をかき分けて虫を見つける楽しさは魅力であった。

 その日も午後になってぶらりと雑木林に足を踏み入れた。八月の日差しは、それまでの熱波を蓄積した地上に反射して焼けつくようだった。

 毎年、樹液の出る木はたいてい決まっている。そういう木は他の子も知っていて、毎日荒らされているから昼間はほとんど虫はいない。だから目につかない新しい木を探して虫を見つけるのだ。それがまた楽しかった。
 陽の差し込まない場所には樹液は出ていない。出ていても発酵しないので虫は集まらない。適度に陽が当たって草木に隠れた所が狙い目である。
 私は条件のいい木をゆっくり見て回った。

 声が聞こえた気がして立ち止まった。耳を澄ませるとガサガサと何かが動く音がする。動物ではないことはすぐにわかった。今度ははっきりと声がしたのだ。女の声である。私の動悸が高鳴り始めていた。
(苦しそうな声……)
なぜか頭の中に赤い色が感覚された。

 危機に瀕した声ではない。どういう時にそうなるのか、想像が艶めかしく膨らんでいく。
 生い茂った灌木の向こう側で姿は見えない。私は息を詰めてしゃがみ込むと四つん這いになった。
 やがて草の擦れる音が大きくなり、直後、
「ああ……イク」
女の絞り出すような呻きが聞こえ、男の野太い唸りが続いた。
 物音と声が途絶え、息遣いだけが伝わってくる。終わったのだと思った。

 間もなく起き上がったようだ。
「暑いよ。蚊に食われちゃった」
何事もなかったような、あっけらかんとした女の言葉が意外と近くから聞こえた。
「ずいぶん食われたな。俺もケツ食われた」
「いやだ、もう、こんなとこ」
立ち上がる気配がして、私はススキの陰にそっと身を横たえた。幸い二人は反対の方向へ去って行った。足音が遠ざかってもしばらく動かずにいた。

 本物のセックスがすぐそばで行われたのである。私は『現場』を捜しに行った。少し開けた草地にそれらしき場所があった。草がいくぶん寝ていて煙草の吸殻が二本落ちていた。
(ここで……)
目を閉じると、見てもいないのに場面が浮かぶような気がして昂奮が渦巻いた。先ほどの女の喘ぎが甦ってくる。……
 炎天下、風の音もない。じりじりと照りつける日差しとは異なる熱が体の中に充満していた。蝉もないていない静寂の中、虻の羽音が近づいては離れていった。頭がぼうっとなって足元がふらついた。

 灌木の下に白い物が見えた。近寄ってみると丸めたちり紙である。真新しい物である。
(さっきのやつらのだ……)
その中に何があるのか、頭に浮かんだものは一つしかない。実際に見たことはなかったが、きっとそうだと確信した。
 拾い上げて少し開くと半透明のピンク色が見えた。私はそのままポケットに突っ込んだ。手に湿り気を感じたが汚いとは思わなかった。周りを窺い、汗をぬぐった。時間が停止したような夏の午後だった。




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