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栗花晩景
【その他 官能小説】

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早春編(1)-3

 母親は私の目をじっと見つめてから、足早に川の方へ向って歩き出した。私も少し足を引きずるようにして付いていった。
 現在佳代子と一緒にいないことで助かったと思った。通報した誰かは私の名も伝えたかもしれないが、今の状況からすれば悪者は村山になる。佳代子を土手に連れて行ったのはあいつだ。内緒で勝手なことをするからだ。自分は怪我をした足を引きずって捜す手助けをする。自分の罪はそれで帳消しになるような気がした。

「どこに行ったんだろう……」
私は独り言のように、しかし母親に聞き取れる声でとぼけて言った。
「土手のどの辺に行きそうかね」
振り向いた母親の呼吸は乱れていた。
「ぼくは川へはあまり行かないから……」
嘘である。土手や河川敷の様子は隅々まで知っていた。丈の高い草を使って作った隠れ家もある。あそこなら大人はわからない。村山はあそこに行ったのだと私は考えていた。だが母親には言わなかった。言えば自分も同罪にされかねないと思ったからだ。

 母親はさらに足を速めた。私との距離は徐々に離れていく。母親は一度振り返ったが、私を待つことはせず、つんのめるような歩き方で土手を目指して行った。

 私は追うことを止めた。なるべく離れていた方がいいように思えてきたのである。もし村山と佳代子が見つかったら母親はいったいどうするだろう。きっと何があったか問い詰めるにちがいない。佳代子が何もかも喋ったら、恐ろしい剣幕で怒るかもしれない。そうしたら村山だって私の名を出すだろうし、佳代子も認めるに決まっている。言い逃れはできない。それが怖かった。その場にいることを避けたかった。
 考えているうちに母親の姿はずいぶん遠くになっていた。

 しばらく当てもなくぶらぶらしていると、土手の方から村山が歩いてくるのが見えた。一人である。急ぐでもなく、手にした小枝を振り回したり、石を蹴ったり、何だかつまらなそうにみえた。
 私を認めると、とぼけたように視線を逸らせた。
「どこ行ってたんだ」
「別に……川の方だよ」
何をしていたとは訊けなかった。
「オバサン、行っただろう?」
「うん……」
「どうした?」
「どうもしない。俺、何もしてないもん」
村山の顔は赤らんで火照っている。その顔を見つめていると隠れ家での二人の光景が想像された。佳代子を抱いた時の体の熱さが思い出された。順番ではなく、一人占めで佳代子を抱きしめたのだろうか。もしかしたらもっと別なこともしたかもしれない。……
二人の間に重い沈黙が流れた。

 遠くから歩いてくる佳代子と母親に気づいたのは私も村山もほぼ同時であった。早く立ち去らなければならない。私たちは顔を見合わせ、後味の悪さを噛みしめながら何も言わずに別れた。

 それからの数日は怯えながら過ごした。いつ佳代子の母親がやってくるかと気が気ではなかった。親に言いつけにくるのではないか。……
『おたくのお子さん、うちの佳代子に何をしたと思います?』
学校から帰ると隠れながら母の様子を窺った。遊ぶ時も佳代子の家と離れた場所を選んだ。

 しかし、何事もなく済んだ。その後の佳代子がよそよそしくなったのはきっと叱られたせいだと思う。村山ともこの時の話を改めてした記憶はない。

 鮮烈でありながら苦い出来事は、心身未熟な私にとって表面的には戸惑いを残すだけだった。そしてそのうちに思い出すこともなくなり、時が駆け抜けていった。

 そんな昔の思い出が甦るようになったのはここ数年のことである。年齢を重ねるに従って、まるで過去に執着するように『性』にかかわる埋もれていた記憶が頻々と思い起こされるようになってきた。そこには喪ったものを追い求め、何かに縋るような、とても切ない感情が伴われている気がする。


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