『清子と、赤い糸』-23
『……
「………」
「………」
唇同士が、触れ合っている。遠くで聞こえる、昼休みの喧騒を耳にしながら、清子と岡崎は、木陰に身を隠しての、初めての触れ合いに、お互いの動悸を激しくさせていた。
「………」
「………」
やがてゆっくりと唇が離れ、閉じていた瞳がうっすらと開かれる。
「……チュー、してもうたな」
「あ、ああ……」
これ以上ないというぐらいに、二人とも顔を茹で上がらせながら、それでも、初めて生まれた唇の感触に、陶然としている様子であった。
“伝説の告白”を経て、校内や界隈のリトル・リーグ内はおろか、町中の至るところで有名な“全世界公認のベスト・カップル”と称されるようになった二人は、しかし、その告白から数ヶ月を要して、初めてキスを交わした。
「清子の顔が、目の前にあったんで、その……」
「え、ええやん、それは、もう」
そして、この“初めてのキス”は、勢いで生まれたものでもあった。
いつも昼休みになると、岡崎はよく、この木陰で本を読んでいる。それを清子は知っていたので、邪魔をしないように、そのすぐ側に腰を下ろすことはあっても、話しかけることはせず、静かな時間を過ごすのが習慣となっていた。
今日は、清子も少し用事があって、岡崎がいるこの木陰に来るのが遅くなってしまった。別段、待ち合わせているわけではないが、自分が姿を表したとき、岡崎が嬉しそうな笑顔を向けてくれる瞬間が、清子はとても好きだった。
（あら、まーちゃん、寝とるやんけ）
ところが、開いていた文庫本を手にしながら、岡崎は寝息を立てていた。
（………）
それで清子は、岡崎を起こさないように、そっと側に寄り添うと、珍しい彼の無防備な寝顔を眺めることにした。
（可愛い顔やなぁ）
朴訥として、寡黙なところがあって、表情もあまり豊かとはいえないが、清子はそんな岡崎が好きでたまらない。小学生のときの出会いから、野球を通した交流を経て、男女の交際に進展したわけであるが、まさか、自分にこんなに早く“両想いの、好きな男の子”ができるとは清子も考えられなかった。
（運命かなぁ……な、なんてな）
自分でも恥ずかしいことを考えて、ひとり勝手に顔を赤くする清子。岡崎が“よく似合う”と言ってくれた三つ編に触れながら、思春期真っ只中の、幸せな空想に浸る清子であった。
（まーちゃん、よっぽど好きなんやなぁ）
岡崎が手にしている文庫本は、『赤毛のアン』（著：モンゴメリ）である。自分が三つ編にし始めたのは、実は、岡崎の一言からで、
『赤毛のアン、みたいだな。よく、似合ってる』
と、誉めてくれたのが、とても嬉しかったのだ。以来、“三つ編”は清子にとって、大事な“トレード・マーク”となっている。
（それにしても、まーちゃん、よう寝とるなぁ）
ふと、悪戯心が胸に差して、清子は顔を岡崎の側に寄せてみた。
（まーちゃんとは、いつか、こんなふうに、“チュー”とかも、するんやろな……）
まだ“触れ合い”と呼ぶべきものは、“手繋ぎ”だけという、非常に“純情”な二人である。
中学生になり、性教育も始まったので、男女の関係には“様々な形”があることはもう知っていたし、周囲の“カップル”たちの“すごい話”も耳にすることもあったので、清子もいろいろと関心を抱くようにはなっていた。しかし、岡崎と自分が、そんな関係を結ぶ姿というのは、どうにも恥ずかしくて、想像するだけでも、顔から火が出そうになる初心な清子であった。
『……ん』
『……あ』
岡崎の顔を目の前に、想像の世界に没頭してた清子は、故に、彼が目を覚ます動作に気がつかず、その目が開いたときに、咄嗟に顔を離すことができなかった。
『………』
『………』
そのまま、お互い見つめ合う。
数秒でありながら永遠にも似た時間のその後で、岡崎の顔が近くに寄ってきた。
清子は、自然に目を閉じて彼を待ち、そして、すぐ後に、唇に柔らかく暖かな感触が生まれた。
…と、これが、二人の“ファースト・キス”に至る顛末の振り返りである。まったく、壁パンしたくて、仕方がない。
（人様の迷惑になるから、そんなことしたらあかんよ）
…すみません。てか、貴女もこっちに割り込む人ですか。お願いですから、遠慮してくださいませ。