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偽りの空
【SF その他小説】

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偽りの空-3

 それにしても何故こんなことになったのだろう。人生に高望みをした覚えもなく、平凡な日常に喜びを見出していたのに。そんな幸せの日々を打ち砕いたのは、あれを見たせいなんだ。なぜあの時、空など見上げたのだろう。
 運命のその日、俺は会社からの帰り道にあった。一月の終わりはまだ日暮れも早く、夕方五時過ぎにもなると、辺りは薄闇に包まれていた。大通りの信号にぎりぎりのところで引っ掛かり、俺はまだローンが八カ月ある愛車の中から、何気に空を見上げた。
 黄昏が空を藍色から群青色に、やがては星の散る夜闇へと染めていくところだった。雲一つない宵闇にはぽっかりとした月が浮かんでいた。満月には満たない、少し翳った上弦の月は十三日月と言ったところか。とにかく太陽の光を反射して、煌々と中天に輝いていた。
 俺はその時、綺麗だな、と思いながらぼんやりと眺めていた。
 異変は唐突に起きた。 
 何の前触れもなく、月が突然、裂けた。
 それは空の一部が三角形に切り取られたと言う方が正しいかもしれない。例えるなら、空が大きな一枚の紙で、月の描かれてある部分を破って、覗き穴を作ったと言う感じである。この説明が分かりにくいことは重々承知してるが、強いて言うならこのようになる。音はしなかったが、もししていたら、ぺりっという音が聞こえただろう。
 もちろん空は紙じゃないし、月は宇宙に浮いてる衛星だ。そんなことがあるわけない。あるわけないが、俺の見ている前で現実にそれは起こった。月の三分の一程は、まだ空に残っており、それは変わらず光を放っていたが、破り取られた三角形の部分には何もなかった。宇宙が見えるとか闇が広がっていると言うのではなく、ただ何もない。虚空が広がっているだけだ。
 その時、思考は完全に停止していた。だがCG世代の恐ろしさと言うか、まるでたちの悪い映画でも見ているような感覚で、その空に開いた穴、いや虚空から目が離せなかった。
 『目』が現れたのはその時だった。
 無論、目であるはずがない。もしあれが目だとすれば、月より大きいことになる。確か月の直径は大体三千五百キロだが、比較するまでもなくあり得ない話だ。
 だが、目と称すしかないだろう。それが巨大な生物の一部なのか、はてまた目だけの存在なのか。とにかく空間に切り取られた三角形にそれは突然現れた。
 眼球と思われる白い球体の中央部分、瞳に当たる部分では、どす黒い色彩が渦巻いていた。暗い青と緑が入り混じりながら、時計周りにゆっくり渦を巻き、見ていると深淵に引き込まれそうな気分になる。
 言うまでもないが、あれは人間の目ではない。大きさは論外。瞳の割合も大きすぎるし、色彩にも説明がつかない。だが、あれがものを見る器官であることを、俺は本能的に理解した。
 その『目』がぐるんと反転した。
 地球儀を回して裏面を見るように、その『目』が半回転し、裏面を向けた。そこに現れたのも、また瞳であった。
 裏側の瞳は赤と黒の入り混じった色彩だった。先程の青緑の瞳と違って、それは激しく渦巻いていた。やがて色彩の赤の部分が外側に、黒の部分が中央に集まり、まるで人間の瞳の虹彩と瞳孔のように分かれる。
 そして俺は見た。その『目』がはっきりこちらを、いや、俺を見た。ふざけた言い方だが、目があったのだ。そして『目』は瞳孔の部分を歪ませる。笑ったのだ。
 ‥そう、笑ったのだ。
 プップ〜
 後続車のクラクションが、俺を現実の世界へ引き戻した。悪夢のような幻は消え、空は元通りになっていた。空は空のままで、月は相変わらず明るく輝いている。
 二度目のクラクションは前より長かった。いつの間にか信号は青に変わっており、ほんのわずかな時間しか経ってないことを物語っていた。


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