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偽りの空
【SF その他小説】

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偽りの空-2

 「ひいぃ〜、ストーカーよ、ストーカーに狙われてるわ〜!」
 またかよ。レディキルが騒ぐせいで、今度はストームのおばさんがパニックを起こしやがった。ストームと言っても、アメコミの「]_メン」とは何ら関係のない、四十代半ばの小太りのおばさんだ。世辞にも美人とは言えないジャニーズオタクで、もちろん黒人でもなければ、天候を操ったりもしない。
 ストームと呼ばれる由縁は、彼女が娑婆にいた頃起こした事件に由来する。なんでも、某五人組の有名アイドルグループから執拗なストーキングを受けていると警察に訴えたらしいが、言うまでもなく事実無根の被害妄想だ。その激しい思い込みは徐々に悪化の一途をたどり、ついにはコンサート会場で問題を起こし、ここへ放り込まれたらしい。で、時折ああやって激しく暴れまわるのと、某アイドルグループの名前から、この仇名がついたわけだ。
 どうもあのおばさんは魔法の鏡でも持ってるらしく、自分の姿を映し見ると、どこからか「世界で一番美しいのは貴方です」とでも聞こえるみたいだ。まったく、何が「私の美貌が男達を狂わせるのよ」だ。あんたの言い分が正しければ、おかしいのは世界のほうだぜ?
 しかし俺はこのおばさんに親近感を覚えている。そう、おかしいのが世界の方なら、俺は狂うしかないだろ?
 俺だってイかれる前は、何処にでもいる平凡なサラリーマンだったんだ。普通の家庭に生まれ、普通の大学に進学し、卒業後は普通の出版社に入社してそろそろ五年目と言う、ありきたりな人生を歩んできた男だ。同じ様な奴を探せと言われれば、それほど苦もなく見つかるだろう。
 最初は地元の営業所にいたが、二年前に転勤で引っ越し。新しい住処にも慣れ、会社の評価もまあまあ。社の合コンで知り合った彼女ともいい感じで、それなりに一人暮らしを楽しんでいた。そう、あれを見るまでは‥
 重々しい音と共に頑丈なホールの扉が開けられ、相撲取りのようにいかつい女性看護師達がホールに入ってくる。彼女達は暴れるストームを押さえつけ、慣れた手つきで鎮静剤を注射しようと奮闘する。いつもの見慣れた光景だが、ふと、扉の前に立つブラックジャックと目があった。彼は同情と警戒の入り混じった目で、俺の動向をつぶさに観察してるようだった。
 ブラックジャックこと、警備員の西山さんは、この施設の中でもベテランに属する方だ。はっきり言って、彼はいい人だ。この患者を人とは思っていない精神病棟の看護師達の中で、唯一俺達に治る見込みがあると言う同情心を持ちあわせている、慈悲深い人だ。
 俺はここに入った当初「スターを正気に戻したいなら、彼に『星の王子さま』を見せてやれ」と看護士達に言って回ったところ、どいつもこいつもシカトを決め込んだが、西山さんだけは真面目に受け止めてくれた。数日後、彼はサン・テグジュベリの名著を自費で買い求め、スターに読ませて聞かせてやった。あいにくスターを正気の世界に戻すには至らなかったが、奴は王子さまの星に行ってる間だけはジェダイの騎士の使命を忘れ、花を見て微笑むようになった。以来、西山さんとは良い関係が続いていた。俺が彼をぶん殴るまでは‥
 彼がブラックジャックと呼ばれるのは、頬にある傷が某有名漫画に登場する医者に似てるからではないし、トランプゲームとも関係ない。ひとえに、腰に吊り下げられた武器のせいである。
 革袋に砂を詰め込んだ殴打用武器『ブラックジャック』は、一撃で人を昏倒せしめ、当たり所が悪ければ死に至らしめる危険なものである。いくら精神病棟とは言え、患者は犯罪者ではない。本来こんなものを使うことは許されないのだが、ある患者が暴れた時にだけ使用が許されている。
 いや、遠回しな言い方は止めよう。あれを持つように申請したのは俺だ。ついでに言うと、彼の頬に傷をつけたのもこの俺だ。
 俺を隔離病棟に入れるのが駄目なら、人を傷つける前にそれでぶん殴ってくれと強引に頼み込み、万一これで死んでも病院に責任はないとの同意書にもサインをした。重傷者三名、軽傷者八名を出した暴力事件を起こした後だけに、この特例が認められたのだ。
 念のために言っておくが、俺は筋肉隆々の大男などではない。どちらかと言えば細身の方だ。体重は六十キロに満たない。だが発作的なパニックに見まわれた時には、キチガイじみた怪力を発揮するようで、体重百キロに近い大柄な看護師を投げ飛ばしたとも聞かされた。極限状態に陥ると、人間は信じられない力を発揮すると言うが、どうやらその火事場の馬鹿力的なものが出たらしい。


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