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偽りの空
【SF その他小説】

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偽りの空-4

 習慣と言うのは恐ろしいもので、俺はようやく車を発進させると、いつもの帰路についた。運転に問題はなく、人を轢くことも電柱と激しいキスをすることも、空を飛ぶこともなかった。
 借りているアパートの駐車場に車を入れるところまでは何の問題もなかった。だが、家の鍵を開けようとするとき、手は果てしなく震えていた。両手で鍵を握りしめ、なんとか鍵穴に差し込もうと奮闘し、五度の失敗を経てようやくドアを開けると、俺は何も考えずに布団にもぐりこんだ。
 頭から布団を被り闇の中で目を閉じると、赤と黒の瞳が瞼の裏から俺を見ていた。全身が激しく震え、どうにも抑えることができない。そして俺は笑いだした。
 押さえた笑いは大声に変わり、やがて声の限りに喚き散らし、ベッドの中で暴れまくった。
 どのくらいそうしてたかはわからないが、アパートのドアをガンガン叩きながら、「おい、うるせえぞ」と怒鳴ったのは隣の住人だったと思う。さすがに異常と思ったのか、鍵が開いていたので彼は中に入ってきたのだが、そこで壁に頭を叩きつける俺の姿を見たらしい。
 親交はなかったが、隣の住人は常識のある男だった。実は覚えてないんだが、彼は俺をなんとか止めようと奮闘してくれたようだ。その恩人である彼の鼻を叩きおり、悲鳴を上げた隣人の奥さんが警察を呼び、取り押さえられるまでの間、俺は「目がぁ、目がぁ!」と叫び続けていたらしい。
 鎮静剤を打たれ、拘束されて病室のベッドで目覚めたとき、俺は全身に怪我をしていたが、誰も同情はしてくれなかった。何しろ俺を押さえつけるまでに五人の男が、軽くない怪我を負わされたからだ。
 ちっとも嬉しくないが、正気をなくした哀れな男と同情されたのだろう。後に治療費を請求されたのは当然だが、告訴はされなかった。俺はありがたいと思うべきなのだろうな。
 その後の処置は事務的だった。警察での事情聴取に精神鑑定。告訴は見送られたものの、医師から実社会での生活が不適当と判断され、精神病棟で入院することへの同意書にサインをするまで、それほど時間はかからなかった。
 当然会社は解雇され、家族からは嘆きと憐れみの目を向けられた。ともあれ実社会から隔離された俺には、ただ時間だけが残された。
 何度となく俺はあの時見たもののことを考えた。セラピーの先生が言うように、現実逃避の幻を見たのだろうか。それとも潜在意識が作りだした幻覚だったのだろうか。残念ながら薬物検査では陰性と結果が出たので、知らずに麻薬性のものを飲んでいたと言うことはない。一番ましな解釈は、白昼夢を見たのだと言う結論だが、それもかなりの無理がある。
 いずれにせよ、何度あれは幻だったと思いこもうとしても、うまくいかなかった。余人に話しても理解してもらえないが、俺はあの時意思ある存在に見られて、その意思を感じたのだ。幻であるはずがない。
 そこで俺は仮説を考えた。多分誰にも理解してもらえないだろうが、あり得ざることが起きたのだから、常識に捕われて考えても、正しい結論は出ないだろう。
 あの時俺が見た目は本物だ。だが、あの眼が本物だとすれば、偽物は空と言うことになる。月も星も偽物だ、青空は波長の長い青色光が散らばったものではなく、星は恒星が遠くで輝いているものでもない。本当は紙のようなスクリーン上の絵にすぎず、その気になれば一部分を破って中を見ることもできるのだ。
 つまり何だ?今まで俺の信じてきたこの世の科学の法則は全部でたらめだと言うことか?
 実はこの世は俺の頭の中でだけで広がってる脳内の世界で、本当は映画のマトリックスのように、どこか違う世界で夢を見させられているだけなのか?それともトゥルーマン・ショーみたいに、俺の周りだけがセットで、何も知らず過ごしていただけなのか?
 もし俺の知ってるこの世界が、あの目の作りだした虫カゴだとしたら、俺はいったい何なんだ?
 ‥いや、そんなはずはない、ハハハ、そんなことあるわけないじゃないか。そうだよ、世界はおかしくなんかない。おかしいのは俺の方なんだ。そうだ、俺はきっとイかれてるんだ。イかれてるに違いない。
 何度も頭の中で繰り返してきた堂々巡りを打ち消し、俺はぐったりとなったストームを連れさる看護士達を見ていた。ここで心穏やかに過ごしていれば、いつかあの時見たものを幻として受け入れ、何も怯えずに暮らせる日が来るじゃないか。


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