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季冬
【その他 官能小説】

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月ノ章-1

二、


 夕食を終えた後、蘇芳は自室に戻って暫し横になった。九時まではまだ時間がある。
そのうちに、いつの間にか軽く寝入っていたようだ。覚醒した時、時間は丁度良いことに九時五分前。
道具を抱えて、彼は紫苑の部屋へと向かった。

「私です」
 襖の前で声を掛けると、中から「どうぞ」と、紫苑の声がした。
彼は何気なく襖を開くと、そこには白い襦袢のみを纏った彼女が佇んでいた。
「お嬢さん…!す、すみません、そんなつもりでは…」
慌てて踵を返そうとする蘇芳を、紫苑は声で制す。
「待って下さい!」
しゅるっ…と衣擦れの音がしたかと思うと、紫苑は帯を解いて、羽織っていた襦袢を完全に脱ぎ捨てる。
ぱさり、と着物が畳の上に落ちる音が、蘇芳の耳にも届いた。
 あまりの出来事に身動ぎも出来ぬまま、彼はその様子を見つめていた。
雪と見紛う程の白い肌、華奢だが女性特有の丸みを帯びた紫苑の裸体に、蘇芳は完全に目を奪われた。
開かれた障子からの雪明りが、彼女の肌の白さを益々際立たせている。
「は、早く着物を…」
蘇芳は漸く掠れた声を絞り出す。
頭の中はまるで霞がかかったようにはっきりしない。
目の前の出来事が夢か幻のようで、未だに信じられなかった。
「生まれたままの姿の私を描いて下さい」
腕で辛うじて胸と陰部を隠している紫苑が、真っ直ぐ彼を見つめながらそう言う。
「ですが…」
「…お願いします」
 そこまで嘆願されては、断れない。そもそも、自分も了承したことではないか。
きっと、彼女にも思う処があるのだろう。
深く追及せずに、今は現実を見据えなければ。
そうしなければ、抗えない情動に取り込まれてしまいそうだから。
「わかりました…」
彼は静かに、そう呟いた。

 彼女が、部屋に横たわっている。
その少し後方で、蘇芳はひたすら手を動かしていた。
たわわな乳房、括れた腰、すらりと伸びた手足、艶やかな黒髪。
大きな瞳、長い睫毛、赤い唇。そして…玉のような肌。
艶色を帯びた彼女の美しさを余すところ無く描き出す。
 出し抜けに、紫苑の裸体を目の当たりにして、波打った心臓を鎮めるのは相当困難であった。
だが、芸術的な目で見れば、たとえどんな姿でも冷静さを欠かずに描けるはずだ。
…そう信じて、手を動かし続ける。
とにかく、喉がからからに渇いていた。
絵を描く時、こんなにも緊張したのは彼にとって初めてだ。
息苦しい程、部屋の中は静まり返っていた。
 緊張しているのは、紫苑も同様だった。
眉目秀麗な彼である。穏やかなその両の眼は、絵を描く時にだけ、時折鋭い輝きを宿す。
その双眸にじっと見つめられているだけで胸が騒ぐ。
 気を逸らすために、彼女は父である晏爾のことを追想していた。
厳格そうな外見の父だが、一人娘である自分をとても可愛がってくれた。
十五の冬。父は末期の癌に侵されていて、体を蝕まれており、最早手の施しようが無かった。
そして、父は最期に自分の姿を描きたいと頼んだ。
あの日も、確か細雪がちらつくこんな寒い日だった。
―――気を紛らわせるだけのはずが、すっかり過去に囚われてしまったようだ。
様々な出来事を想起しているうちに、目の端から涙が一筋、頬を伝う。
 蘇芳は零れ落ちる彼女の涙に当然気付いていたが、敢えて声は掛けなかった。
とにかく、今は絵を書き上げる方が先だ。自分の箍が外れる前に。

 小一時間程経っただろうか。蘇芳の手が止まった。
「…描き終わりました」
起き上がって再び襦袢を羽織った彼女に、出来上がった素描を手渡す。
「私は、こんなに綺麗じゃないですよ。…でも嬉しいです」
紫苑は愛おしそうに絵を見つめていた。
とりあえず彼女の期待を裏切らない出来だったようで、蘇芳は胸を撫で下ろす。
「…お嬢さんは、とても綺麗ですよ」
 思わず口を衝いて出た言葉に、自分自身でも驚いたが、偽りない本心だった。
頬を赤らめた紫苑が、自分を見つめている。
 彼女に見つめられると、正体の良くわからない、不可解な感情が、突如として蘇芳の胸に沸き起こる。
熱いような息苦しいような、普段彼女と接している時はこんな気持ちになったことなどないのに、何故なのか。
頭が、顔が、体が、熱い。これ以上、この部屋に居るとおかしくなりそうだ。
「それでは、もう遅いので失礼致します」
 そそくさと立ち上がって退出しようとする彼の体を、背後から温かい感触が包み込む。


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