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金魚とアイスクリーム
【純文学 その他小説】

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本文-5

「さきちゃんの紹介で、先週からまたアルバイトを始めた。場所はさきちゃんと同じスーパー。狭い路地にある忘れられたお店で、人通りが少なくて楽だとさきちゃんが言ってた。レジなら前に打ったことがあるので、今はレジ打ちを主な仕事でこなしている。そうそう、今日かわったお客さんがきた。いきなりアイスクリームを持ってきたと思ったら、袋に詰めた底のひとつを無理に取り出して『おつかれさま、あなたにあげよう』 だって。なんでそんなことをするのかさっぱりわからなかったけど、お客がそう言うから一応『ありがとう』と言ってもらっておいた。あとでさきちゃんに聞いたら、空いたスーパーだとたまにはそういうこともあるみたいだって。でもアイスだと置いておく場所がなくて困った。お客がいない間を見計らって、奥の冷凍庫の裏に隠して、帰りに持って帰る。風呂上がりに取り出して食べたらおいしかった。とにかく、どなたかはしらないけど、ありがとうございます。前のレストランのレジじゃ味わえないうれしさです。でもザンネンー あなたのお顔はわすれました、はい」

「夢のなかで、金魚の群れをみた。いつの間にか鉢はなくなり、室全体に水槽のように水が行き渡っている。その音のない水中で、金魚たちが青白い点滅光を発信しつづけているのを聴いた。紺青の薄闇に魚たちの瞳がちら、ちらと瞬く姿は、空をおよぐ夜の旅客機のように、はるかへと視線を仰いでいる。ぼくは水掻きの生えた半透明の手足を掻いて進みながら、金魚たちの歩む彼方へ、あの窓の外に散りばめられた銀河の海のなかへとくろおるした。魚たちの最後尾に続くぼくひとりだけ魚ではないけれど、ひれの生えた魚たちの作りなす水流に、なめらかに水を縫って引き寄せられている。
 (夢のなかで、声がきこえる……)
 とおくから小さな声が届いてくる。ぼくは自分が夢のなかだと知っている。月の燈りに照らしだされた夜の街、アスファルトを青白く映し出す夜の水槽を飛び交うぼくの耳元に、ゆっくりと波紋が押し寄せている。声は霞に掻き消えた白を吐き出しながら、こうささやいた。
 『たろうは、東の土のうへに、静まる霧のやうに、明るみの月に、散りぱめられ…』
 すると金魚たちの声が一斉に目覚めたように泡立ちはじめる。
 『たろうは彼女のはらわたの……』
 『…むっくりとした毛むくじやらで、』
 『捜さないと……』
 乾燥した、子供のような呟き声が潮と砕けながら消えてゆき、消えては生まれ、生まれては消えて、夜の水槽になめらかな波紋を広げてゆく。やがて月の向こうから夜の闇がむっくりと顔をむき、街の光を、潮騒を、呑み込んだ。
 水槽を満たすものは金魚とぼくと、夜の月。金魚たちはゆるやかにカーヴを描きながら、らせん状に月の階段を駆け上ってゆく。
 (これからたろうを捜しにゆくのだろうか)
 潮騒の言葉を呑み込みながら、その意味を少しだけ反芻してみる。わかることは何もないけれど、わかっているようでもある。夜霧の路を歩くような曖昧さ。 『たろう』の名が消えかかりそうになる。それは名前だったのか、何なのか、もうぼくには思い出せない。

 それは女性。髪の長い、スーパーで遭った彼女だった。月は遠くを見やるようにして、ぼくの視線を捕らえている。半開きになった口周りの筋肉の弛み具合に見覚えがあった。それはスーパーの彼女のものではない…。
 月の部屋と思われた建物は、どこかに見覚えのあるスーパーのなか。店員と思しき彼女は、レジ先で軽く会釈をした。店の照明が薄暗い。眼を大きく見開き、ぼくの背後を見透かしながら、彼女は長い髪を水中に浮かべている。
 『……たろう!』
 咄嵯に走り出る言葉に感光するように、意識が覚醒してゆく。そうだ。彼女の中にたろうがいる。ぼくは『思い出』す。金魚たちの眼が明滅しながら彼女に群がり始める。彼女が笑う。彼女の胸のなかを金魚が泳いでいるのが見える。たろう。彼女の胸が割れる。ぼくはたろうを掴もうとして、彼女の心臓をまさぐる。
血塗れのたろうの躰が、彼女の心臓。風船のように収縮する。ぼくはたろうを捕えられない。彼女が痛がる。ぼくは目前にあるたろうの躰に触れられず、もどかしい」



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