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花火
【女性向け 官能小説】

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サプライズ-1

デスクの端に置いたタンブラーに手を伸ばして、すんでのところでキーボードに手を戻す。

…そうだ、とっくのとうに空っぽになってましたっけ

ガランとしたフロアに、自分がキーを叩いている音だけが響く。
トイレさえ行く時間が惜しいと思ってしまうから、1Fのカフェも、2Fにあるコンビニどころか、同じフロアにある給湯室や自販機でさえ行けずにいるのだ。

…所詮無理なのだ。
 今まで3人でやっていた仕事を1人でこなすなんて。

思わずこぼれそうになったため息をなんとか飲み込む。
ベテランの先輩が産休育休で長期戦線離脱中。
喜ばしいことだけれど、メインの戦力が欠けて只でさえ大ダメージだというのに。
代わりにやってきた派遣社員さんと、元々一緒に働いていた派遣社員さんがオトコを巡って勤務中に壮絶なバトルを繰り広げてくれまして。
二人とも翌日から何の連絡もなしに突然来なくなるっていうね。

…ありえないわ、社会人としてありえない。全く。
 契約期間って言葉ご存知ないの?バカなの?
 派遣先はオトコ探しに来る場所じゃないっつーの。

思い出すとイラっとするから思い出さないようにしたいのだけれども。
一人むなしく残業していると、つい思い出してしまう。
日中は電話応対と受発注業務にほとんどの時間を費やされてしまい、それ以外の業務は必然的に早出や休出をするか、残業してこなすしかない。
それだけでは補いきれず、最近はお昼休みさえまともに取れていない。
かといって増員してもらったところで、引継ぎをしている余裕なんてないから、だったら自分が踏ん張るしかない。

それでも時々、むなしさを感じてしまう。
栄養ドリンクが毎日かかせないことに気づいたときとか。
今日もこんな時間になってしまったから彼に電話できない、とか。
寂しさの代わりにさっきは我慢したため息を吐き出して、止めてしまった手をもう一度動かし始めたとき。

ピーッ、ガチャッ

IDをかざしてロックを解除する音に続いて聞こえたドアを開ける音に驚いて振り向く。

「やっぱりまだここにいた」

一瞬、幻聴と幻覚かと思った。

「かっ、井上さんっ」

名前で呼んでしまいそうになり、慌てて苗字に言い換えた私を見てニヤリと笑う。

「メールの返事もないし、電話もかかってこないから、また一人で戦ってんじゃないかと思ってさ。ほら、差し入れ。どうせメシ食ってないんだろ?」

ちょいっと上げてみせる袋は、野菜がたっぷり入ったサンドイッチ屋さんのもの。

「ありがとうございます」

デスクの下からバッグを取り出し、お財布を出そうとする私をけん制する。

「オレの奢り。オレも腹減ってるから休憩所で一緒に食うぞ。少しデスクから離れろ。食い終わったらオレも手伝うから」

「ごちそうさまです」

作業を中断して保存をかけ、外していたIDカードを首からかけて井上さんの後を追う。
隣に並ばず、2、3歩後を歩く私を、彼の背中が笑っている。

「日向(ヒュウガ)」

「何でしょう?」

「おまえ、面白すぎ」

こちらを振り向かずにそう言い放った井上さんの背中をどつきたくなる衝動をぐっとこらえながらフロアの端にある休憩所へ向かい、窓際のカウンターに並んで腰を下ろした。

「日向はここのイモが好きだったよな」

油で揚げずにオーブンで焼いてあるここのポテトは確かに私の大好物。

「大好きですけど、イモって」

私の抗議をムシして、サンドイッチと飲み物、それにスープをカウンターの上に並べていく。

「生ハムとチーズのヤツでいいか?オリーブとピクルスは抜いてもらったから」

「すごい。よく覚えてますね」

「当たり前だろ?」

ドヤ顔でこちらを見るから、つい笑ってしまう。

「ほら、ちゃっちゃっと食って、とっとと続きやらないと明日も出勤する羽目になるんだろ?」

「はい。じゃぁ、遠慮なくいただきます」

お昼もまともに食べてなかったから、美味しくて夢中で食べてしまう。
ふと顔を上げたときに、まるで父親のような優しい眼差しの井上さんと眼があった。

「やっぱり腹減ってたんだろ?ちゃんと食わなきゃダメだって。自分が手離せなくて買い物行けないんだったら外行くヤツとかに声かけろよ」

呆れたようにそう言うけれど、心配してくれてるのがすごくわかる。
実際昼に井上さんがオフィスにいるときは、必ず声をかけてくれるのだ。
私は大人しく頷いた。

「わかればよろしい」

そう言うと、井上さんもローストビーフのサンドイッチを頬張る。
今日はもう会えないと思っていた。
声も聞けないと思っていた。
なのに、こうして一緒に夕飯(にしては遅すぎるけど)を一緒に食べられるなんて。

「何ニヤニヤしてんだよ。危ないヤツ。ほんと日向って見てて飽きないな」

差しさわりのない話をしながら食事を終えて、後片付け。

「食後くらい少しゆっくりしろ、って言ってやりたいけどとりあえず戻るか」

「ごちそうさまでした」

「いえいえ、おそまつさまでした」

来たときと同じように、少し後を歩く。
今度は打ち合わせをしながらだったので、背中は笑ってなかったけれど。
オフィスに戻ると、井上さんは少し自分の業務を片付けた後、私の業務を手伝ってくれた。
休日出勤はできればしたくないから、今夜は始発までコースを覚悟していたのに、井上さんのおかげで早く仕事は終わった。
それでも終電は出てしまったあと。

「送ってくよ。近くのパーキングに車停めておいたから」

普段は電車通勤なのに?と思ったら

「出先から近かったから、一旦家戻ってとってきた」

「お言葉に甘えてもいいですか?」

「バーカ。そのために車で来たんだから大人しく甘えろ」


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