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Odeurs de la pêche <桃の匂い>
【同性愛♀ 官能小説】

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第4章 展開-8

3、律子

 しばらくは、小夜子がいてこその翻訳の面白さも失せて、だらだらとした毎日が過ぎていきました。小夜子は多分今頃はお見合いをし、恋愛に発展し、両親が望む結婚の準備をしていることでしょう。それを思うと私は、美しいの、綺麗だの、と言われながら、自分自身未だにそれが人ごとのように聞こえるのは、一体私はどういう人間なのだろう。それほど綺麗だというのなら、男の一人や二人くらい、私を口説きに迫ってきても良さそうなのに、かつてそんなことはありませんでした。勿論、そんなことがあったら……、と考えるだけで肌が粟立ってきますけれど、多分、私が発している何らかの雰囲気、あるいは妖気、毒気、殺気が……ああ、考えるのも嫌。今更考えてどうなるものでもなしと、いつもなら、自分のことを考える馬鹿々々しさは直ぐに霧散してしまうのに、小夜子の可愛さが自分の醜さを執拗に責めているように感じられるのでした。

 気分を変えようと、完成した「テレーズ・アンド・イザベル」の翻訳原稿を持って、久しぶりに大学のフランス文学の教授を訪ねました。
 彼女はほんの数頁読んだところで、<日本語の判定は正しくできないけれど、少し冗長に過ぎる。フランス語のニュアンスを読者に理解させようというのは分かるけど、フランス語を訳すのではなく、フランスの espritを翻訳しなければ翻訳する意味がない……>と酷評されてしまいました。
「そういうことよ翔子さん。ところであなたの話すフランス語、フランス人に習ったでしょ。それも南部の女性。ちがう……?」
「ええ……習ったんじゃないんです。一緒に生活していて自然に覚えたんです」
「でしょうね。Liaison(リエゾン)にとてもお色気があるわ……。え?……一緒に生活って……?」
「いえ……あの……以前私の家に長期のホームステイなさっていた方ですの」
「ああ……そういうこと。私、ドキッとしちゃった。いやだ、私ったら。変なこと想像しちゃった」
「変なことって……何ですの……?」
「変なことは……ヘンな事よ……あなたの美しさがそうさせるのよ。Tu désorientes une femme(あなたは女性を惑わせる)わかる……? なのに、こんな本持ってくるんだもの、勘違いするじゃない」
「いやですわ教授ったら」
「私、惑わされてみようかな……なんて思っちゃった。ダメね。こんなお婆ちゃんじゃ。ホホホ……冗談よ。そうだ翔子さん。あなたのフランス語で日本の文学を翻訳なさい。その方があなたのフランス語が生きるわよ」
 私は成る程、と納得し、その方が面白そうだと思いました。
 教授に感謝し、またの批評をお願いして教授室を出ようとドアノブに手をかけたタイミングに合わせたように、学生と鉢合わせをしました。小夜子に似た形の良い顎の線を持った子が驚いて2・3歩後ずさりし、
「ア……失礼致しました教授」
「うフフ……私、教授じゃなくてよ。教授されにきた者よ」
 そんな会話が聞こえたのか、教授が出てきて、
「あらまあ……ちょうど良かったわ。すごい偶然。翔子さん、この子2回生にもなってフランス語が上達しなくてね。成績悪いの。あなた教えてあげる時間ないかしら。私、この子に頼まれたとき、ふとあなたのことを思い出していたのよ。私がこの子だけ特別に教えるわけにいかないし……どうかしら……?」
「いいですわ、私で良ければ。私、高等遊民ですから」
「何ですって? 高等なに?」
「いえ、別に。……私、働いておりませんし、今教えて頂いたテーマを追いかけるだけですから」
「この子邑律子さん。こちら北白川翔子さん。この人、私の生徒だったのよ。綺麗でしょ。妖しいほど美しい人でしょ。しっかり教えて頂くのよ。この人のフランス語は autochtone ネイティブみたいよ。私が保証する」

 律子はもう、その日の下校時に私の部屋を訪ねてきました。私は小夜子が北海道から帰ってきた、と思ったほど、身体から発する雰囲気がよく似ていました。小夜子より少しふっくらとしていながら、すらりとした姿勢の美しい子で、清潔で健康な肌色が私をときめかせました。
 玄関でモジモジしながら顔を紅潮させ、躊躇する雰囲気まで似ていました。
 教授があのような言い方をするものだから、ひょっとしたら、何かの覚悟をしているのではないか、と思いながら、私は、蜘蛛の巣に掛かった蝶々のようだ、なんて考えていたんです。
「どうなさったの? お上がりになったら? 私がこわい……?」
 私はついいじわるな言い方をして、彼女の緊張を解いてあげたつもりでした。

「すごい大きなお部屋……でも……シンプルなんですね」
「ロココだとでも想像なさってた?」


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